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1~25件/2241件 を表示

  • ノンケのクールな後輩×健気でえっちなゲイ先輩のピュアでエッチな(!?)ラブストーリー! 1でお付き合いを始めた2人ですが、2で描かれているテーマは“嫉妬”“独占欲”という好きだからこそ生まれてしまう感情でした。もともとノンケだった木下くんは、これまで付き合ってきた女の子にはそういった感情を抱いたことはなかったのですが、檀野先輩に対しては「過去も未来も現在も すべてを独占したい」と思ってしまうほどぞっこんなのです(´///`)一方、檀野先輩も木下くんに独占欲を感じるけれどうまく表現できなくて…!? 交際中の2人に少し暗雲がたちこめるのかと思いきや、読んでみれば終始ラブラブなので、ただひたすらにこのカップルを愛でられる内容となっております(合掌)。
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    投稿日:2018年04月13日
  • 表題作は前後編の2話完結。高校生の智春(ちはる)は男に興奮する性質であることを周りに隠しているんですが、実は“トモ”という名前でアダルト動画を配信することで欲望を発散していました。ところがある日、クラスメイトの佐久間にトモであることを知られてしまい…という内容。エッチシーンはしっかりとエロいんですが、普段はクラスからも浮いているような佐久間がストレートに智春に告白してきたり、実は前から智春のことを見ていたことが分かったり、しっかりと2人の恋模様の部分も描かれていてよかったです(*´ω`*)同時収録の「夢見る少女じゃいられない」は、好きな人にかわいいと言われたくて女性ものの下着をこっそり身に着けている、こちらも人に言えない秘密をかかえた男の子のお話。どちらもおススメです!
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    投稿日:2018年04月13日
  • 「妻とは離婚してないだけ」「もう愛してない」。そう言って若いセフレとの不倫に溺れる主人公。自分では「いい距離」を保てていたつもりがアラ大変……というのが第1巻。しかしこの「アラ大変」度がハンパじゃない。最後、「そっちかーーー!」とうなりました。最近また不倫だとか家庭内離婚だとかそんな作品増えてる気がします。『1122』やドラマ化もされた『ホリデイラブ』etc.…ただそれらが恋愛・結婚を軸にした「人間ドラマ」なのに対し、本作は作品のあらすじにもある通り「サスペンス」。とにかく1巻ラストまで読んでもらえればわかりますよサスペンス。1巻読了時の「そっちかーー!」感は『アイアムアヒーロー』以来でした。まあとにかく不倫は代償デカいですねホントに……。
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    投稿日:2018年04月06日
  • 高校でいつも一緒にいる白坂(シロ)くんと黒田くん。親友の2人だけど、シロくんは一目見たときから黒田くんのことが好きで…という青春ラブストーリー。
    タイトルの通り、思春期男子ならではの葛藤や悶々とした気持ちを抱えたキャラクターに読んでるこちらも心がざわざわして甘酸っぱい気持ちになりました(*ノωノ)黒田くんの身長を越えるまで告白はしたくないというシロくんがいかにも「男の子だな~」という感じで微笑ましい(*´ω`*)
    このシロくん、あまりにも男らしくあろうとしているものだから、「え?攻めなの?受けでしょ…? …ほらやっぱり受けじゃ~~ん!」と別の意味でざわざわしてしまいました(笑) 黒田くんはいわゆるクールで女子にもモテるタイプの子なのですが、実は執着がすごくてそんな自分に自分で驚いたりして…大人っぽいけどまだ若い男の子、という感じが◎ さわやかでキュンとできる甘いお話が読みたいという方におススメです!!
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    投稿日:2018年04月06日
  • 人間ではない「何か」で、それゆえ不死の主人公と、彼に密接に関わり、結果として死んでゆく周りの人々。不死の命とそれに相反する死。そして「生きる」ということ――。個人的にはテーマに手塚治虫の『火の鳥』を感じずにはいられません。登場人物について、一人ひとりをとても深く描いているため感情移入の度合いがすごいです。4巻に出てくる仮面の少年・グーグーと、彼に助けられたお嬢様・リーンのエピソードは大号泣でした。とにかくこの作品が週刊で、しかも少年マンガ誌で連載されていることに多大なる感謝をしたいです……!日本のマンガ文化芳醇すぎる!キャラクター、ストーリーテリング、そして絵。すべてが超一級品で、完結時には歴代大作家の名作群に比肩する作品になってるのでは…?と期待せずにはいられません。
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    投稿日:2018年04月06日
  • 第1話を読み終わってめっちゃ高まりました。すごい。物語が始まってすぐに提示される主人公の少女の「到達点」。そう、この話のゴールはもう決まっているのです。しかし読み進めてすぐに「この少女がどうやってその場所へたどり着くのか」という疑問を持つことになるでしょう。それくらい彼女の現在地とゴールには差があります。なるほどその道のりにワクワクする話なんだな、と思ってたところに現れたのは、少女と同じく、困難な夢を持つ少年。二人が戦友的な関係になるのか、それとも恋愛関係になるのかはまだわかりませんが、実に運命的なボーイミーツガール。そして1話ラストで改めて明示されたのは、冒頭で出てきた少女の到達点について。しかし冒頭と少し違う点がありました。少女の到達点にさらに「少年の到達点」が付け加えられるのです。つまりこの物語は、「ひとり」の少女の物語ではなく、少年少女「ふたりの」成長物語なのだと!それまで主役は一人だと思ってたのにW主役だったのか!というこの感じ! アニメ等でオープニングなしでいきなり本編が始まって、しばらくしてからドン!とオープニングが来るような感じというか。物語の図式がイッキに明らかになるこの流れは、第1話としてカンペキじゃないかと思いました。テーマも「服飾業界」とこれまでほとんど?少年マンガで描かれていない世界なので、どんな風に展開していくのか楽しみにしています。
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    投稿日:2018年04月06日
  • クラス一番のモテ男子・戸田くんは容姿端麗&運動神経抜群、かつクール! しかしアタマの中は同じクラスの地味女子・中野さんの妄想(たいていエロいやつ)でいっぱい! そしてその想い人たる中野さんは、実は「人の心が読める能力」を持っており、戸田くんの妄想は筒抜けなのである! 戸田くんのしょーもない妄想と、それを見ないフリして相手する中野さんのラブコメディ。とにかく戸田くんの心の声と、実際の態度のギャップがたまらない! 表面上は無愛想なのに心の中はやたら「うひょおおおおお中野さあああん!」とか言ってるんですもん。男子だったら「あーわかるわー……」ってなるんじゃないでしょうか。女性のみなさん!男子なんて大抵こんなモンですよ! この作品で秀逸だと思ったのは表現方法。中野さんが読んだ「心のなか」の映像や声はカラーで、それ以外はモノクロで、というのは斬新だと思いました。4コママンガなのですが、ストーリーもきちんとしており恋愛マンガとして読み応えのある作品です!
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    投稿日:2018年04月06日
  • 前作『プラネテス』も宇宙を舞台にしたスケールの大きな(しかし個人的な)愛の話でしたが、続く本作もまあスケールが大きい。そして圧倒的に話し運びがうまい! ページを捲る手が止まりません! 父親に憧れる主人公・トルフィン。しかしその父はヴァイキングに殺され、トルフィンはいつかその仇を取ることを誓い、父を殺した男の部下となる……。もうこの導入だけでワクワクしませんか。バックボーンがきちんと描かれたキャラクターたちはどれも魅力的で、実際にいたのでは?と思わせるリアリティがあります。アメリカの連続ドラマで実写化とかしてくれないだろうか……ハマりそうな気がするんですが。
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    投稿日:2018年04月06日
  • 数年前、世界を震撼させたエボラ出血熱。「パンデミック(世界流行)」「アウトブレイク(爆発的感染)」といった言葉とともに、強く印象に残っている方も多いのではないでしょうか。近年、日本ではそうした疫病の大流行はありませんが、もしそういうことが起きたらどうなるのか?本作では架空のある市を舞台に致死性の高い伝染病と闘う医師の姿が描かれます。凄まじいペースで増える感染者、そして死人。封鎖される都市と、そこから脱出する人々。SNSが発達した現代において、その都市に住む人々がどのように見られ、どういった扱いを受けるのか。フィクションではあるものの、ある意味いつ現実に起こってもおかしくないストーリーには引き込まれてしまいます。ちなみにタイトルにある「リウー」とは、フランスの作家・カミュによる『ペスト』という小説の主人公。このタイトルセンスも素敵だなと思います。
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    投稿日:2018年04月06日
  • 『山賊ダイアリー』で猟師としてワイルドこのうえ無い狩猟・採集生活を我々に見せてくれた岡本健太郎原作の女子高生遭難&サバイバルコメディ。遭難して無人島に流れ着いた女子高生4人がサバイヴするためにあれやこれや…という話なのですが、登場人物のうち1人が「軍人だった父にいろいろ仕込まれた」という設定で、この子の知識と能力がとんでもない。生魚の体液で水分補給しちゃうし、何ならおし●こ飲め!てな具合。単純にためになるアレコレもあるのですが、実生活で使う機会はほぼ無いだろうなぁと思うこと請け合いです。このメンツとなら無人島生活でもいいな………。
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    投稿日:2018年04月06日
  • 「食べ放題」それは魅惑の響き…ケーキ、ソーセージ、餃子、お寿司、カレー、牡蠣、野菜、イチオシの食べ放題店をOL漫画家と大食い編集者がレポートするこの漫画。すべてのお店が東京に実在しているだけあって、料金やシステムの紹介もバッチリな上に、料理の絵や味の感想なんかもリアリティに溢れていて、なんとも食欲の湧く1冊です。なによりも大食い編集者・K成さんの食い意…いや、食べっぷりが本当にすごい! 私はそこまで量を食べられる方ではないので、今まで食べ放題は避けてきたのですが、K成さんの勇姿(?)に励まされて食べ放題にチャレンジ! まだ餃子の食べ放題とソーセージ食べ放題にしか行けていないのですが、どちらもお値段以上の満足感がありました(でもK成さんほどは食べられなかった…)。グルメガイド的にも役立つ漫画なので、「食べ放題」のワードに惹かれる方はぜひ!
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    投稿日:2018年04月06日
  • まずは見てくださいこの透明感のある素敵な表紙。見ているだけで読みたくなってきますね? この表紙のイメージに違わず、正統派でロマンチックな、それでいて心が洗われる素敵な作品です(心をこめて合掌) 特に!!!受けの澄さんがもう本当にかわいくて、ちょっと脳みそが溶けました。澄さんは普段のお仕事がSEなので、対人スキルに自信がないんですが、そこがまたかわいい。思ったことや聞きたいことを素直に口に出せなくて葛藤しているのがいじらしくてかわいい。告白されて「恐縮です……っ」って言っちゃうの、かわいい。さっきからかわいいしか言っていませんが、とにかくかわいいんです!ちるちるBLアワード次に来るBL部門にもランクインした注目の作品です!
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    投稿日:2018年04月06日
  • 「午前3時」シリーズでは社畜女子、『三代目薬屋久兵衛』では漢方娘…今回はニートが主人公!? 何かになるより、ゴロゴロしてたい。そんなボンクラな主人公が大学を中退し、残りの学費(激怒した親がくれた)で、大好きだったおばあちゃんの美容院を仲間とともにリノベーションすることに。DIYあり、恋愛もあり、でも基本頑張りたくない主人公のボンクラライフの行方は…。ゴロゴロしながら読みたい漫画です!
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    投稿日:2018年03月30日
  •  原リョウが帰ってきた。14年ぶりの新作『それまでの明日』が2018年3月初め、紙書籍、電子書籍同時に刊行され、ミステリーファン、ハードボイルド派の間では、「原リョウ復活」の話題でもちきりだという。
     1988年(昭和63年)4月、『そして夜は甦る』(早川書房、2013年3月15日配信)で鮮烈な作家デビューを果たした原リョウは、1年半後の1989年(平成元年)10月に第2作『私が殺した少女』(早川書房、2013年3月15日配信)を発表。第102回直木賞(1989年下期)に輝き、ハードボイルド作家としての位置を確かなものとした。以後、1995年(平成7年)『さらば長き眠り』(早川書房、2013年3月15日配信)、2004年(平成16年)『愚か者死すべし』(早川書房、2013年3月15日配信)と書きつなぎ、第4作の『愚か者死すべし』から14年かけて刊行されたのが、今回取り上げる第5作『それまでの明日』です。これら長編5作品のほかに、1990年(平成2年)刊行の短編集『天使たちの探偵』(早川書房、2013年3月15日配信)がありますが、デビューから30年で6作品──自他ともに認める寡作作家です。それだけに14年ぶりの最新作に関心が集まっているのだろう。
     直木賞選考委員の藤沢周平は選評で「魅力ある文章と魅力ある一人の私立探偵を造型」と評しましたが、上記6作品はすべて、東京西新宿に事務所を構える私立探偵、沢崎が登場する〈沢崎シリーズ〉と呼ぶべきものです。
     原リョウは、船戸与一との対談で、〈私立探偵・沢崎〉についてこう語っています。エッセイ集『ハードボイルド』(早川書房、2016年2月29日配信)より引用します。

    〈沢崎というのは僕にとってはつくった人間だし、ある意味ではマーロウをモデルにしてます。小説の主人公を自分の感覚から単純に出しても主人公たりえないような気がするんで、沢崎なんかはそれこそひとつの台詞に三日も四日もかかったり、どこからかつくりだしてこないとだめなんですよ。〉

     マーロウは言うまでもありませんが、『長いお別れ』(早川書房、2012年8月31日配信。2016年1月29日、原題そのままの『ロング・グッドバイ』を書名とする村上春樹の新訳も配信)で知られるレイモンド・チャンドラーが生み出した私立探偵フィリップ・マーロウのこと。チャンドラーに心酔し、「とにかく真似られるだけ真似ようとしました」と語る原リョウです。チャンドラー・ハードボイルドの中核であるマーロウをモデルに〈私立探偵・沢崎〉を造形した。下の名前も考えてはいたが、一作目を書き終えた時、下の名はどこにもなく、結局そのまま姓だけになったと、船戸与一との対談で明かしています。

     さて、14年ぶりに戻ってきた〈私立探偵・沢崎〉の物語──『それまでの明日』は、西新宿のはずれのうらぶれた通りにある〈渡辺探偵事務所〉を、とうに絶滅していたはずの紳士が来訪して始まります。
     日増しに寒くなる11月初旬の夕方──沢崎があしたの夜の張り込みに備えて、ロッカーからコートを取り出そうとしていると、ドアにノックの音がした。「どうぞ」と答えると、五十代半ばの男がドアを開けて、事務所に入ってきた。かすかに左足を引きずるような歩き方には、ものなれた動きと落ち着きがそなわっていた。椅子に腰をおろして、まっすぐ沢崎に注がれた眼には、ここを訪れる依頼人のほとんどが見せる不安げな様子はなかった。

    〈“彼は依頼人ではないな”というのが、私の第一印象だった。私より年長であり、私より収入も多く、世の中のあらゆることに私より優れた能力を発揮できそうだった。探偵の仕事なら私のほうが上だと思うが、探偵に解決してもらわなければならないような問題が生じたとしても、たいていのことは自分で解決できる人間に見えた。
     時候の挨拶などお定まりの会話をひとしきり交わしたあとで、来訪者はようやく用件を切り出した。私の推量はみごとにはずれていた。
    「うちの社ですでに融資が内定している、赤坂(あかさか)の料亭の女将(おかみ)の私生活を調査していただきたい」
     望月皓一(もちづきこういち)はよく知られている金融会社の新宿支店長だった。金融業にたずさわる人間が紳士に見えるようでは、私の観察眼もあまり当てにはならないようだった。だが、金銭を扱う人間は紳士ではないと決めつけるのは公平な態度とは言えなかった。〉

     望月皓一は15分ほどで、赤坂の料亭〈業平(なりひら)〉の女将の平岡静子(ひらおかしずこ)という女性の身辺調査に必要な事項を話し終えると、「今日のところは30万円をお預けしておきます」と言って、会社の名前入りの封筒をデスク越しに差し出した。一週間分の探偵料金と経費の一部にはなるだろうということらしかった。そして、外部には明かせない会社の事情がある故、電話連絡は避けて欲しい、一週間後の土曜日に電話するか出向いて調査結果を聞きたいと念を押したうえで、沢崎の事務所をあとにした。

     調査を始めた沢崎は、料亭〈業平〉の場所を確かめに寄った交番の巡査から平岡静子が夏の初めに亡くなっていたことを知らされます。依頼者が平岡静子の死を知らなくて、すでに調査の必要はないのかもしれなかった。あるいは姉の後を継いで女将となった、静子によく似ているという嘉納淑子の身辺調査をする必要があるのかもしれなかった。融資しようという相手の名前を間違えることはないはずだが、料亭の名義変更がすんでいないための混乱がないとは限らなかった。名刺にあった番号に電話を入れたが、外出中でつながらない。名刺の裏に手書きされた自宅の番号にもかけてみたが、長い呼び出し音の後で電話に出た男は「留守です。あんた、どなたです?」と関西方面のなまりがあった。
     沢崎は答えずに、電話を切った。オフィスも自宅も空振り。自分が携帯電話を使わない沢崎は、携帯の番号は聞いていない。気にもとめていなかったが、今となっては後の祭りだった・・・・・・となれば、望月皓一(支店長)が戻るという閉店時間にミレニアム・ファイナンス新宿支店を訪ねるしか、依頼主に予想外の事態を知らせる方法はなかった。
     新宿2丁目のテナント・ビルの3階にあるミレニアム・ファイナンス新宿支店のベンチに腰を下ろし、パンフレットを見るふりをしながら店内の様子を観察する姿勢をとった沢崎。その時、事件は起きた。二人組のニットの眼出し帽の男たちが支店のなかに飛びこんできたのだ。

    〈「誰もその場を動くな」先頭にいた大柄の黒ずくめの男が、右手に持っている大型の自動拳銃を振りかざして怒鳴った。
     店内の女性たちがいっせいに悲鳴に近い声をあげた。
    「騒ぐな!」と、黒ずくめの男が一喝した。「こちらの言う通りにすれば、誰にも危害は加えない。警報装置やパソコンには一切触るんじゃないぞ」
     あとから来た濃緑色のフィールド・ジャケットを着た男は中背で、左脇に銃身の長いライフル銃か猟銃のようなものを抱えているのがわかった。彼は右手で運んできたポリタンクを接客用のカウンターの上に置くと、左脇の銃を持ち直して、いつでもポリタンクが撃てるように構えた。ふたを開けっぱなしにしたポリタンクから発するガソリンの匂いが店内に漂った。
     女性たちの何人かが小さな悲鳴をあげたが、そのほかの者はむしろ恐怖で声が出ない状態になっているように見えた。
    「いまこの瞬間から、おまえたちは、おれたちがある目的を果たすための人質になった。おれたちの指示に従わなければ、このガソリンをぶちまけて火を点けることになる。わかったか」〉

     二人組の狙いは、言うまでもなく金庫の中身を頂戴することだが、それは厳重なセキュリティシステムに守られており、支店長のキーと本店警備室のキーが連動して解錠しなければ、開かない仕組みだ。支店長は閉店時間を過ぎても戻ってこない。二人組のうち黒ずくめの男は、解錠のしようがないことがわかると、濃緑色のフィールド・ジャケットを着た男を残して立ち去り、強盗は未遂に終わる。銃には空包が一発入っているだけだったし、ポリタンクの中身はほとんどが水だった。

     主犯格の黒づくめの男は緊急手配されたが、誰が何を目的に強盗未遂事件を起こしたのか? そして、何より問題は、支店長の望月皓一の行方だった。通報を受けてやってきたのは、警視庁新宿署の錦織警部。沢崎とは旧知の捜査課長だ。錦織は探偵が強盗未遂事件の現場に何故いたのかに強い関心を抱く。
     錦織に呼び込まれた支店長室。沢崎は机の上の写真立てに入っている家族写真をじっくり時間をかけて見た。夫と妻、それに姉妹の4人。マンションのベランダで撮った家族団欒の写真で、背景に写っていた大きな白い建物に見覚えがあった。
     本店から駆けつけた総務部長らの手によって金庫が開けられ、想定外の現金が入ったジュラルミンのケースが二つ出てきた。ざっと4億か5億に近い。事情を知るはずの支店長の望月皓一は行方不明のままだった。

    〈「ここで見聞きしたことはすべて“部外秘”だ。いいな。あした、午後いちばんに新宿署に出頭してくれ」
    「なかなか面白かったよ」
     私は支店長室を出ると、店内にはすでに警察の人間だけしか残っていないことを確認して、〈ミレニアム・ファイナンス〉をあとにした。
     支店長の望月皓一はいったいどこへ行ったのだ。〉

     ミレニアム・ファイナンスの支店長室・金庫室に出所不明の大金が隠されていた。沢崎に料亭の女将の調査を依頼してきた望月皓一──いまでは珍しい“紳士”の依頼はどう関わるのか?
     そして──沢崎が家族写真の撮られたマンションを突きとめ、錦織の部下の田島警部補とともにその部屋に入ると、浴室のバスタブに男が浮かんでいた。望月ではない。

     いったい、何が起きているのか。沢崎とは因縁のある暴力団〈清和会〉幹部の橋爪も登場。いっそう複雑な様相を呈し、深まる謎に私立探偵・沢崎が切り込んでいきます。張り詰めた、スピード感のある文章は、一気に予想もしない真相に向かいます。
     強い地震が東日本を襲った。強盗未遂事件の現場で居合わせ、謎の解明に協力してきた海津一樹は仙台の漁師町の近くにいて、西新宿の沢崎と電話で話をしていた。

    〈「わかった。東京に帰ってきたら、また会おう」
    「こんなにさっぱりした明るい気持で父親に会えるのは、あなたに──」〉

     電話がプツンと切れて、物語は終わります。書名『それまでの明日』の深い意味を初めて知った。(2018/3/30)
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    投稿日:2018年03月30日
  •  大人気のNHK「ブラタモリ」の先駆けと言っていいだろう。1893年(明治26年)生まれの獅子文六(岩田豊雄)が、都電に乗ってみようと思い立ち、品川界隈から銀座、京橋、日本橋を経て上野、浅草まで都電を利用して、ブラブラ歩きをした。1966年(昭和41年)、73歳となる年だった。
     のんびりと、失われつつある風景を求めて時代をさかのぼるような文士の“時間旅行”は、「週刊朝日」に連載され、のちに一冊の本にまとめられた。『ちんちん電車』である。朝日新聞社から単行本が刊行されたのが1966年。40年後の2006年(平成18年)に河出文庫として刊行され、2017年10月20日発行の新装版初版を底本に電子化、11月17日に配信されました。
     なぜ、都電──「ちんちん電車」だったのか。1974年(昭和49年)に荒川線(三ノ輪橋-早稲田の27系統、荒川車庫-早稲田の28系統を統合)以外の路線がすべて姿を消しましたが、獅子文六がこのエッセイを書いた1966年当時は、全盛期を過ぎたとはいえ、〈東京の無数の坂を登り下って下町と山手を結びつけ、また東京の無数の川や堀割を渡って旧市街と江東一帯を連絡した。電車は東京の血液を運ぶ頼もしい血管〉(巻末収録の関川夏央〈老文士の「のんびり時間旅行」〉より)として、まだ都電が「ちんちん」と音を鳴らしながら変わりゆく東京の町々を縦横に走り回っていた。

     獅子文六は、「ちんちん電車」についてこんなふうに書いています。
    〈私は、東京の乗物の中で、都電が一番好きである。いつ頃から、そんなことになったか、ハッキリ覚えていない。それ以前に、都電なんて、バカバカしくて、乗れないと思った時代があったことは、確かである。それが、いつか、逆になったのである。いつかといっても、戦後の東京の交通機関が、大体、整備してからのことだろう。つまり、乗物の選択がたいへん自由になって、こっちの都合や、懐ろ工合で、どんな乗物にも好きなように乗れることになったら、俄然、都電がよくなったのである。別な見方をするなら、如上(じょじょう)の交通機関が発達して、路上電車というものは、何かマヌケなものになり、気の早い連中が、撤廃論を持出すようになってから、かえって、都電に愛着が出てきたのである。それは、必ずしも、アマノジャクではない。他の乗物の乗り心地が、よくないから、都電を思い出したのであって、いわば、古女房の再認識と軌を一にしてる。〉

     最も乗り心地の悪いのはバスで、なによりあの揺れ方がいけない。ついで不愉快な乗物であるタキシはいまさら論じる必要もないと片づける、国電についてはその混雑と車内の汚さが欠点だと嘆き、地下鉄でヤミの中を走るのは気持がよくないという老文士。都電への愛着をさらにこう綴ります。

    〈そこへいくと、都電である。
     都電ぐらい、乗り心地のいいものはない。大人物でなくても、いい気持に居眠りができる。乗り心地のよさは、いろいろの点からくるが、まず軌道の上を走ることが、魅力である。電車が軌道の外を走らないということは、今の東京の交通混乱の中にあって、まったく見上げた態度である。時として、脱線することがあるとしても、人間の行蔵に比べれば、ものの数ではない。都電がいかに行儀のいい車であるかは、絶対に“割り込み”をしないということでもわかる。(中略)
     軌道の上を走る点では、国電も、地下鉄も同様であるが、なぜ、都電だけが、乗り心地がいいかというと、スピードを出さないからである。
     都電の低速力ということは、今の時点で、非常な魅力となってるのを、気づかない人が多い。軌道を走るのに、あまり高速力を出すと、不快な動揺を起すことは、国鉄新幹線へ乗って見ればわかる。地下鉄のうるさい轟音も、スピードを出すからである。軌道の上を快く走行するには、速力の限度があり、都電はそれを超そうとしない。青山一丁目─渋谷あたりの軌道床工事のよくできた路線を、七五〇〇型の新式電車で、低速(というよりも、あれが尋常の速力)で走る時の乗り心地は、コタエラレンというほどのものである。〉

     ノロノロ都電とあなどってはいけない。駅の階段の昇降、通路のアリの歩みによる時間の空費を考えれば、都電は思ったよりも早く目的地に運んでくれた、見かけによらず速いのである──と讃える。
    〈朝の六時ごろに、池袋から数寄屋橋まで、都電に乗ると、十七分で行ける。これは、地下鉄より速いのである。勿論、街路が混雑してくると、そんな芸当はむつかしいが、それでも時速十二キロぐらいは出すのである。人間が歩くのが、四キロだから、大分速いことになる。〉

     池袋から数寄屋橋まで都電が走り17分で行けたとか、青山一丁目から渋谷まで、つまり国道246をちんちん電車が走っていたなど若い読者には想像もできないでしょうが、獅子文六の「都電愛」に、もう少しお付き合いください。

     裕福な台湾華僑の一家を描いた『バナナ』(筑摩書房、2017年11月10日配信)という作品があります。獅子文六は本書でこの作品に触れて、自身の創作のある秘密の愉しみを明かしています。

    〈(『バナナ』の)主人公の呉天童という台湾人が、東京の赤坂に住み、富裕な生活をして、外車の自家用車を買うぐらい、朝飯前の身分なのに、都電にばかり乗ってることを書いた。
     彼は、大陸的な、ノンビリした性格なのだが、自動車とバナナが嫌いで、あらゆる美食と共に、路面電車が好物だった。なぜ、電車が好きかというと、レールの上を走る安定感と、巨大な車体の安全性を愛するからなのだが、東京都電の車内のムードが性分に合うのである。
     私は、その男のそういう性癖を書くのが、愉しみだった。実をいうと、そこのところだけは──都電愛好という点だけは、私自身を登場させたからである。そこだけは、私小説だったからである。新聞小説というやつも、書く方の身になると、相当、退屈なものであって、それくらいの道楽は、やってみたくなる。もっとも、読者も、新聞社の方も、私が道楽やってるなぞ、気がつかないから、文句をいわれる心配はない。〉

     新聞小説の中に都電愛好の道楽を入れて秘かに愉しんでいたというのです。人間の歩く速度より少し速い程度の、ゆったり感が普通にあった時代だったということでしょうか。都電の窓から町の景色を眺め、気が向けば降りて往時を思い出しながらゆっくり散策する老文士の息づかいが聞こえてくるようです。

    〈久振りに、品川終点へきてみると、どうも、様子がちがう。いつの間にか、終点が、品川国鉄駅前になってる。昔の終点は、八ツ山といって、もう一つ先の陸橋の近くだった。そこで、車掌さんがエンヤラと、ポールの綱をひいて、方向を変えたものである。今はポールはなく、パンタグラフ(ほんとは、ビューゲルというのだそうだ)になったから、そんな世話はない。
     しかし、終点が八ツ山だったことは、大いに意識を持ったのである。夜の乗客で、八ツ山で降りる人の三割は、品川遊廓が目的だったろう。陸橋を渡れば、すぐ品川宿で、街道の両側に、古風な娼屋が軒を列べた。吉原のような大廈(か)高楼がない代りに、気の置けない遊びができたらしく、女郎衆の気風も寛達で、落語の“品川心中”なぞ、他の場所では不似合いだろう。
     私なぞは品行がよかったから、この宿へくるのは“三徳”という夜明かしの小料理屋を愛用したためだった。今は、どこも、夜明かし流行だが、以前の東京は堅気だったから、終夜営業の夜は遊廓内に限ったもので、従って、市内で飲み足らぬ場合は、“三徳”に足を運ぶのが常だった。そんな店が何軒もある中に、“三徳”のカニやアナゴは優秀であり、客扱いもサッパリしてた。座敷から、すぐ海が見え、潮風が吹込んだ。
     ある夏の夜、私は友人とここで飲んでいたら、夜が明けてしまった。房総の山から、日の出が見えた。さすがに、その時刻には、入れ混み座敷の客も少なかったが、ふと、近くの席で、一人の品のいい老人が、食事をしてるのが、目に入った。白いヒゲを生やし、大変姿勢正しく、カタビラのようなものを着て、しかも、ハカマをはいてる。そして、“三徳”の客としては珍しく、酒を註文しないで、飯を食ってる。それだけでも珍現象だが、もっと驚くべきことは、女中がその前に畏って、お給仕してるのである。“三徳”の女中なんて、料理をドスンと置いてくだけで、ロクにお酌もしてくれず、そこが、かえって気安く飲める所以でもあったが、それにしても、これは、大変な差別待遇である。第一、“三徳”の女中が、キチンと坐ることを、知ってるのかと、おかしくなった。
     その客は、飯を食べ終ると、直ちに勘定を命じ、その時に、よほどチップをはずんだと見えて、女中がペコペコした。差別待遇の理由は、この辺にあるかと、私も合点したが、この時刻に、こんな料理屋で、朝飯を食う老人の正体が、サッパリ腑に落ちなかった。〉

    「あのジイさんは、何者だい?」若き獅子文六、女中を問い詰めて、ハカマの老人の正体を聞き出したことを回想しているのですが、ここではその結末までは書きません。

     とまれ、獅子文六のちんちん電車歴は長い。のちに都電となる市街電車が東京を走り始めたのは1903年(明治36年)。その頃、三田の慶応幼稚舎の寄宿舎にいた獅子文六は、横浜の実家へ帰る時には品川駅までこの電車に乗るのを常とした。開業以来の客ということになります。
     その老文士がちんちん電車で行く町歩きをして描いた、かつての東京の風景。
    〈京橋へ入ると、私はとたんにウナギの匂いをかぐ。事実は、匂いなんかしないのだが橋を渡ってじきの横丁に、小満津という家があるのを、思い出すからだろう。そのウナギは、ほんとにうまい。今の東京で、一番うまいかも知れない。そして小體(こてい)に、ジミに商売してるところもいい。銀座では、あんな営業法はできないだろう。〉
     残念ながら獅子文六が懐かしんだウナギの老舗、小満津(こまつ)はその地にはなく、のちに店主の孫によって東高円寺に再建されました。

     上野で一番好きな場所は池の端だという獅子文六。ソバは、蓮玉庵か、団子坂の“藪”か思案することもあるけれど、鳥となれば迷うことはないと、こう記しています。
    〈鳥を食うとなれば、何の躊躇もなく、”鳥栄“のノレンを潜るだろう。
     この店は、池の端の誇りであるのみならず、東京のあらゆる料亭のうちでも、亀鑑みたいなものである。小さな、見かけの悪い家だが、鳥がウマい以上に、商売の心意気を持ってる。つまり、気に入った材料が入らなければ、本日休業をやるのである。昔はそんな店も東京にあったが、今は跡を絶ったようだ。〉

     春の一日、本書を手にブラブラ歩きをしてみてはどうでしょうか。その際、紙書籍に収録されているスケッチ画が、電書には載っていないのが少し残念ですが。(2018/3/23)
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    投稿日:2018年03月23日
  • ひとりだからってかわいそうとは限らない。強がりで言っているわけじゃないんです! 好きなことを、好きなときに、好きなだけできるって最高じゃないですか!? 誰かと遊んだりする時間もいいけれど、誰にも気をつかうことなくひとりで飲みに行ったり映画を見たり本を読んだり…そういう時間ってすごくリラックスできるし、満たされているなーって感じませんか? 『ごほうびおひとり鮨』は彼氏にフラれた独身OLが、結婚資金に貯めていたお金を使って、実在する高級なお鮨屋さんへ行くというシンプルなお話。ひたすら食べているだけなんですが、何にも縛られず思うがままにお鮨を楽しむ姿を見ているとなぜか癒されてきます。「うまみがジュワってきた!」「舌が甘やかされてしまう」など独特な味の表現も見どころです!
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    投稿日:2018年03月23日
  • 小学校の頃「りぼん」を愛読していた私。漫画のヒロインはみんな恋をしていてかわいくて楽しそうで憧れたものでした…。そんなこんなで「ヒロインは最初に出会った好きな男の子と結ばれるもの」という(?)少女漫画のお約束の中で生きていた私ですが、あるとき読んだ『ミントな僕ら』には衝撃を受けました。「りぼん」の作品でありながら、想っていても報われない、ヒロインが全然一途じゃない…今思えば当たり前のことですが、当時の私の目にはそんな現実こそが新鮮に映ったのです。まぁ今読んでもまりあのバイタリティ(?)には驚かされますが…。
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    投稿日:2018年03月16日
  • TL小説家のリオは、実は処女…。担当の編集さんに「エッチシーンにリアリティがない」そう言われ、取材のために通りすがりのイケメン銀行員にエッチの実地指導をしてもらうことに!? 初めての感覚だけど、トロトロに気持ちよくなっちゃうリオがかわいくてきゅんきゅん☆ 仕事に対して真剣で、だけどちょっぴり天然で憎めないリオにほだされ振り回される藤縞さんも、みているとほほえましい気持ちになっちゃいます。「顔がすべった」はキスの言い訳にはなりませんよ、藤縞さん!
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    投稿日:2018年03月16日
  •  北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)はもしかしたら、ホワイトハウス内部のリアルな生き様を描写した、この本──『炎と怒り トランプ政権の内幕』を読んだのではないか。そんな思いが頭をよぎった。2018年1月、トランプ大統領が「出版差し止め」に動き、繰り上げ発売されるや、売り切れ店続出。アマゾン、ニューヨークタイムズのベストセラーランキング1位、全米170万部突破の世界騒然の書だ。約1か月後の2月下旬、邦訳が書店に山積みされ、電子版の配信も始まった。

     2018年3月9日──ピョンチャン・オリンピックの前までは、「Little Rocket Man(チビのロケットマン)」「老いぼれの狂人」と一国の最高権力者が発する言葉としては世界をあきれさせるに十分な表現で罵倒し合っていたトランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が5月までに会談するという衝撃的ニュースが飛び込んできた。朝鮮半島を南北に分ける板門店で金正恩から「親書」と「特別な伝言」を預かった韓国特使をホワイトハウスに迎えたトランプは「首脳会談の要請」を聞いたその場で、「よし、会おう」と即答したというのです。

     いったい、何があったのか。実現すれば、歴史的な会談となる「米朝首脳会談」をめぐるニュースを追っていた時、上掲の『炎と怒り』のある一節が脳裡に浮かんだ。

    〈トランプの一日は予定された会議のほかは、大半が電話に費やされている。外から何度電話したとしても、トランプへの影響力は維持できない。これは微妙ではあるが重大な問題をはらんでいる。トランプはしばしば最後に話した人物から大きな影響を受けるが、実際には他人の言うことなど聞いていない。つまり、トランプを動かすのに個々の議論や陳情が果たす役割は小さい。トランプにとって大事なのはむしろ、とにかく誰かがそこにいることだ。トランプは妄想好きだが、その頭のなかでは固定された見解は存在しない。だからこそ、トランプの頭のなかで起きていることと、目の前にいる人間の思考を結びつけることが大事なのである。その誰かが誰であろうとどんな考えを持っていようとかまわない。〉

     気になるくだりは、もうひとつ、あった。

    〈かつて海軍士官だったスティーヴ・バノンは、わずか数週間で気づいていた。ホワイトハウスがじつは軍事基地であることに。そこは大豪邸の外観を備えた軍事オフィスであり、わずかばかりの式典室を頂点に戴(いただ〉くその施設の下には、軍隊的指揮にもとづいた強固な「基地」が広がっている。ホワイトハウスの背後にある軍隊的な秩序やヒエラルキーと、その表側で仮住まいの民間人たちが繰り広げる混沌。それはじつに鮮やかな対比だった。
     トランプ率いる組織ほど、軍隊式の規律から遠い存在はそうはあるまい。そこには事実上、上下の指揮系統など存在しなかった。あるのは、一人のトップと彼の注意を引こうと奔走するその他全員、という図式のみだ。各人の任務が明確でなく、場当たり的な対処しか行なわれない。ボスが注目したものに、全員が目を向ける。それがトランプ・タワーでのやり方であり、いまではトランプ率いるホワイトハウスのやり方となっていた。〉

     トランプはホワイトハウスの“わんぱくな子ども”であり、ご機嫌とりをしたり気を引いたりする人なら誰でもお気に入りになれる。しかし、そのひらめきは瞬間のなかにしかない。だから、今はホワイトハウスを去ったとはいえ、一時は“陰の大統領”の呼び名もあったスティーヴ・バノン(元大統領首席戦略官)は毎晩トランプのディナーに同席しようとしたし、長女のイヴァンカ(大統領補佐官)とその夫、ジャレッド・クシュナー(大統領上級顧問)は、とにかく大統領の近くにいることによってたんに家族であること以上の影響力を手に入れようと腐心した。大事なのはとにかく、その瞬間に居合わせるということ──そのチャンスをつかめば、トランプ大統領との直接取引(ディール)の可能性が拡がっていく。首脳会談の要請をうけたトランプは「金正恩は北朝鮮で意思決定できる唯一の人物。だから彼と直接会うのは合理的だ」と説明したといわれますが、トランプ自身もホワイトハウスで意思決定できる唯一の存在とみなされているのです。金正恩がこの本を読んでいれば、よし、“わんぱくな子ども”の懐に飛び込んでやろう。そう計算したとしても不思議はない。

     この本の原題は、〈Fire and Fury :Inside the Trump White House〉。2017年8月8日、トランプ好みのシャンデリアやゴルフのトロフィー、ネームプレートで飾られたベッドミンスターのクラブハウスで行なわれた昼食会の後で、集まった記者団を前に、
    「北朝鮮は、これ以上アメリカを威嚇するのをやめたほうがいい。さもなければ、世界がこれまで見たことがないような炎と怒りを目の当たりにするだろう。彼が行なってきた脅しは常軌を逸している。だからいま言ったように、世界がこれまでに見たことのない炎と怒り、むき出しの力に直面することになる。ありがとう」
     と語ったトランプの北朝鮮に対する警告メッセージからとられています。もともとは『旧約聖書』の中の「イザヤ書」にある“神の怒り”を象徴する表現だと池上彰氏の解説にあります。いかにブラフの掛け合いの中でのこととはいえ、核先制攻撃を示唆しているともとれる威嚇の言葉を発したのが、何をするかわからないトランプ大統領だけに、世界は十分に戦慄したし、金正恩の内部にも疑心暗鬼が渦巻いたであろうことは想像に難くない。

     さて、『炎と怒り』に描写されたトランプのホワイトハウスの内幕である。
     本当に望んだかどうかは別として、1年前にホワイトハウスの住人となってしまった“わんぱくな子ども”と“ご機嫌とりをしたり気を引いたりする人たち”のリアルな生き様は驚くほかないが、何より覗いてみたいのはトランプの頭の中だ。トランプをよく知る人たち、周囲の人たちが一致しているのは、「バカ」だという辛辣な評価だ。そのあたりの状況は次の一文からもうかがえる。
    〈トランプの知的能力を嘲笑するのはもちろんタブーだったが、政権内でそのタブーを犯していない者などいない。〉

     たとえばティラーソン国務長官(3月13日、突然トランプが「解任」をツイート)──大統領を「能なし」と呼んだことが暴露された。
     たとえばゲイリー・コーン経済担当大統領補佐官兼国家経済会議委員長(3月6日辞任を表明)──「はっきりいって馬鹿」と言った。
     たとえばH・R・マクマスター国家安全保障問題担当大統領補佐官(フリンの後任)──「うすのろ」と言った。
     たとえばスティーヴ・バノン大統領首席戦略官兼上級顧問(のちに辞任)──〈トランプを、ごく単純な構造の機械にたとえた。スイッチがオンのときはお世辞だらけ、オフのときは中傷だらけ。卑屈で歯の浮くようなお世辞があふれるように口から出てくる──何々は最高だった、驚くべきことだ、文句のつけようがない、歴史に残る、等々。一方の中傷は怒りと不満と恨みに満ち、拒絶や疎外を感じさせる〉

     勝つはずではなかったトランプが、そして驚くほど政策を何一つ知らないトランプが、まさかの大統領になってしまったのだ。そして一人のジャーナリストがなぜかトランプ流に塗り替えられたホワイトハウスの内側を自由に動き回ることを許された。本書著者のマイケル・ウォルフです。ウォルフが描写するトランプのホワイトハウスの生々しい有り様は「やっぱり本当なのか」「まさか」の連続です。「誤報」がゼロとは思いませんが、普通の取材方法では入手できない内部証言に基づく衝撃の書であることはまちがいありません。内部の人間しか知り得ない秘密の暴露が随所に見られることが、この本の価値を保証しています。
     たとえばトランプの寝室をめぐる秘密──。

    〈トランプは入居初日に、すでに部屋に備えられていた一台に加えて、さらに二台のテレビを注文した。ドアに鍵を付けさせ、緊急時に部屋に入れないと困ると言い張るシークレットサービスと小競り合いを起こしたりもした。床に落ちていたシャツを片づけようとしたハウスキーパーに対しては、「シャツが床にあるのは、私がシャツを床に置いておきたいからだ」と言って叱責したという。やがて彼はいくつかの新しいルールを定めた。私の持ち物には誰も手を触れてはならない、特に歯ブラシに触れることは厳禁だ(トランプは昔から毒殺されることを恐れていた。マクドナルドのハンバーガーを好んで食べるのもそのためだ。マクドナルドなら誰も彼が店に姿を現すとは思っていないし、ハンバーガー自体もあらかじめ調理済みで安全だからである)。また、シーツを換えてほしいときはハウスキーパーに伝えるが、ベッドから外すのは自分でやると言いだした。〉

     ちなみにメラニア夫人の部屋は別にあり、大統領夫妻が別々の部屋で暮らすのはケネディ大統領以来のことだそうです。いずれにしても寝室に一人でこもりマクドナルドを食べながら三台のテレビを見るのが秘密のライフスタイルというわけですが、もう一つ“トランプの秘密”が暴露されています。しかも長女のイヴァンカによってです。

    〈イヴァンカはよく、あのヘアスタイルの構造を友人に話して聞かせたものだ。スカルプ・リダクション手術(髪の毛のない部分の皮膚を除去し、髪の生えている皮膚を寄せて縫い合わせる手術)を受けたあとのつるつるの頭頂部を、フワフワとした毛が取り巻いている。その毛を中央でまとめるように梳(と)かし上げ、さらに後ろになでつけて、ハードスプレーで固定しているのだ。さらに・・・・・・〉

     イヴァンカによる秘密の暴露は男性専用のヘアカラーの商品名にもおよび、あのオレンジがかったブロンドのヘアスタイルが出来上がるまでをおもしろおかしく語っているのですが、いずれにしても、トランプは何事も“自分ファースト”を貫く“わんぱくな子ども”なのだ。1年前の大統領就任式を終えたトランプが「観衆は過去最大。150万人くらいに見えた」と、オバマ前大統領の就任式と比較した写真や映像を「嘘」と非難したことは記憶に新しい。事実にもとづいていないと容易に証明される「笑い話」でしかないトランプの主張がどうしてでてくるのか。本書が解き明かしています。

    〈「君が信用しているのは誰だ? ジャレッドか? 君が何かしようとする前に、誰か相談に乗ってくれる相手はいないのか?」興奮気味に電話してきたジョー・スカボロー(引用者注:元下院議員。MSNBC(米国のニュース専門放送局)の『モーニング・ジョー』の共同司会者)は、トランプにそう尋ねた。
    「うむ」と大統領は言った。「君は気に入らないだろうがね、答えは私だ。この私さ。私は自分に相談するんだ」
     そんなわけで、就任式から二四時間と経たないうちに、大統領はこの世に存在しない人間を一〇〇万人ほど創出することになった。新任のホワイトハウス報道官、ショーン・スパイサー(すぐに「そんなでたらめやでっち上げはまずいですよ」が彼の口癖になった)に命じ、就任式の観衆の人数に関して自分の見解を発表させたのである。この一件により、それまで実直に政治畑を歩んできたスパイサーは一瞬にして国民的な笑いものになり、今後もその汚名はすすがれる気配がない。おまけに大統領は、一〇〇万人の観衆が本当に存在したかのように伝えることができなかったといって、スパイサーを責め立てた。
     これは、トランプが大統領になって最初の暴挙だった。〉

     ホワイトハウス報道官および広報部長として、大統領就任式に立ち会ったスパイサーは、7月に辞任してホワイトハウスを去ることになりますが、「相談するのは誰でもない、自分だ。自分しかいない」というトランプ流は薄まるどころか、より顕著に、いっそう激しくなってきていることは、米朝会談に動き出した矢先のティラーソン国務長官解任からも明らかだろう。
    “わんぱくな子ども”を大統領に選んだアメリカは、トランプ大統領に対する初めての評価となる中間選挙に動き始めた。再びの「まさか」が起きるのか。それとも──まさに“神の怒り”が炸裂するのか。『炎と怒り』──トランプを知り、先行きを見定めるために必読の書だ。(2018/3/16)
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    投稿日:2018年03月16日
  • 読んだきっかけは自分もドラクエⅩを遊んでいたからなんですが…これはみんなにおすすめしたい漫画です!『ゆうべはお楽しみでしたね』はドラクエⅩをきっかけにルームシェアをすることになった2人のお話。たまに一緒に遊んだり、ごはん食べているときの会話のネタがドラクエだったり…一緒に趣味を楽しめている雰囲気が素敵!ドラマチックな展開はなくても、読んでいるとあったかい気持ちになります。お互いに無理せずちょうどいい距離感でいる、そんな関係に癒されます~。(ちなみに一番かわいい種族はプクリポ♀ではなくウェディ♀だと思ってます、私は…)
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    投稿日:2018年03月09日
  •  イーブックジャパンのオフィスから歩いて5分ほど、駿河台の明治大学「阿久悠記念館」に、稀代の作詞家の直筆原稿を見に行った。
     阿久悠が遺した歌詞[うた]は、昭和の記憶とともにある。都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディー「UFO」、ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、八代亜紀「雨の慕情」などが即座に思い浮かぶ。阿久悠は5000曲を越える歌詞を特製の400字詰め原稿用紙に愛用する黒のぺんてるサインペンを使って手書きした。少し右肩上がりの男っぽい文字だ。
     阿久悠生誕80年、没後10年だった2017年11月末に『昭和と歌謡曲と日本人』が出版され、先頃配信が始まった。紙書籍の帯には、「時代を見つめ、人を愛し、言葉を慈しんだ歌謡界の巨星、最後のメッセージ!」とある。2001年から2007年にかけて、東京新聞、スポーツニッポンに連載したコラムを集めたもので、阿久悠の最新作であり、おそらく最後の著作となるエッセイ集だ。

     こんな一節があります。「第三章 愛しい人間の愛しいいとなみ」の「昭和の詩」から引用します。

    〈昭和が見直されている。ブームといってもいい。そして、一口にレトロという感覚で片付けられないものが、このひそやかな復活には含まれている。何かというと、人間がいて物があり、人間が生きるためにシステムがあったという、人間主役の時代が、まさしく、昭和であったからである。(中略)
     昭和といっても戦前ではない。やはり昭和三十年代、ぼく流にいうと最後の楽園の時代のことである。飢餓からの脱出に希望が持て始め、生きることにいくらかの向上心をプラスするようになっていた時である。
     いい生活を夢みているが、それは金満とはほど遠いものであって、身の丈に合った幸福サイズをささやかに描き始めた、愛しい人間の愛しいいとなみが満ちた昭和である。東京でいえば、オリンピックが開かれた昭和三十九年以前のこと、地下鉄はまだ二本だけ、その代わり都内を網の目のように都電が走り、渋滞という言葉は日常ではまだなかった。〉

     東京オリンピックの1964年(昭和39年)以前の時代は、1955年(昭和30年)に大学生となって東京に出た阿久悠が、明治大学を卒業して広告代理店・宣弘社に就職。テレビCMの仕事のかたわら、同僚であり、生涯の友となる上村一夫(後に漫画家、イラストレーターとして活躍)と組んで雑誌に劇画の連載を始め、放送作家として脚本を書き始めた時期にほぼ重なります。ザ・モップス(リードボーカル・鈴木ヒロミツ)「朝まで待てない」を書いて作詞家本格デビューしたのは1967年(昭和42年)です。それは〈豊かな日本〉が幕開けした時代で、風俗や文化が花開き、主張し、女性たちは過去の因襲と決別するかのように大胆なミニスカートで闊歩し、そして、テケテケテケとエレキギターが時代の風のように鳴っていた、と阿久悠は綴る。
     そんな〈豊かな日本〉を作詞家として駆け抜けた阿久悠。〈昭和の貧から富への懸け橋の時代〉を「昭和の詩」のタイトルで描いた。

     昭和の詩
     町には暗がりがあった
     だから家の灯が見えた
     人は港を探す船のように
     迷い迷い家へ帰った
     妻がいて 子らがいて
     いたわり示す言葉が迎えた
     昭和 そんな 人の時代

     人間は健気で、慎ましやかで、品性を大切にし、しかも、自分のことをよく知り、社会の中で上手に存在したいと、懸命に常識を守っていた。いい生活を夢みているが、それは金満とはほど遠いものであって、身の丈に合った幸福サイズをささやかに描き始めた、愛しい人間の愛しいいとなみが満ちた昭和の町には暗がりがあった。だから家の灯が見えたと、阿久悠は書くのだ。

     いま、私たち──日本人に〈家の灯〉は見えているのだろうか。
     時代に吹く風を独特の感性で読みとって言葉を紡いだ阿久悠が遺した次の一文が、胸に刺さります。

    〈さて、ぼくらは一体何をどこで忘れて来たか。それをずっと考えている。ぼくらという書き方をしているが、ぼくの周辺の人たちの意味ではなく、日本人のことである。
     ここ何年間かの社会の不条理に満ちた空気を感じる度に、これはもの凄く大切なものを、実にいいかげんな気持ちで忘れて来てしまったせいだと思っている。
     つまり、日本人が日本人をどこかに忘れて来たということだ。
     今の世、人が人らしくない。心ない人があまりに多過ぎる。かつても悪人がおり、犯罪も数多く起こったが、それらにも痛みを感じた。今はそれがない。おぞましさと不可解さだけを感じる。それはきっと、あるべき姿の共通イメージを失ったことによる。
     かつて貧しく、ささやかで、つつましやかであった時には、やさしさや美しさがあった。転べば手を貸すし、よろめけば抱きかかえもし、順番も譲るし、道もあけるし、そんなことは日常の光景として見られた。
     貧しさがいいと思ったわけではない。豊かになりたいとは思ったが、それは自分の歩幅に合ったスピードでの一歩一歩の前進だった。そこには健気(けなげ)な姿があった。
     ぼくら日本人が忘れたものは、普通の人間の健気さであるかもしれない。一途な思いであるかもしれない。
     健気とか一途とかが普通の人間のエネルギーであることを、何かの催眠術によって忘れさせられたのかもしれない。催眠作用だから、こんなに豊かになっても不機嫌で、エネルギーがないのである。
     いつ、どこで忘れたか。日本人が愛おしく思えてならない時代はどこか。〉

     稀代の作詞家の私たち日本人への最後のメッセージに、向き合っていただきたい。そうして、健気で、一途だった時代を私たちの共通の記憶として思い出してみたいと思う。

     最後に、阿久悠と高校野球の関わりに触れておきます。2018年のプロ野球の注目点のひとつに「怪物松坂大輔投手の復活」があります。米メジャーリーグから日本へ復帰、肩の手術、勝利はおろか登板さえままならない3年間を経て、今シーズン中日に移り、復活できるかどうかに注目が集まっています。阿久悠は1979年から2006年まで夏の高校野球大会の全試合を観戦し、一日一試合を詩に詠んだ。そのすべてをまとめた労作『甲子園の詩 敗れざる君たちへ』(幻戯書房)がイーブックジャパンで2015年10月30日より配信されています。1998年(平成10年)8月22日──決勝のマウンドには、横浜高校・松坂大輔投手がいた。京都成章を相手にノーヒット・ノーランをやってのけた。この日、阿久悠は「怪物の夏」と題して、若者たちを讃えた(一部抜粋)。

     あくまでもやさしい顔をし
     しなやかな体をし
     平凡をよそおいながら
     しかし
     圧倒的な非凡であった
     力もあった 技もあった
     タフネスもあった
     もちろん闘志もあった
     それなのに
     ギラギラと誇示しないのが
     新しい怪物の凄さであった
     横浜高校 松坂大輔投手
     この夏は彼とともにあった
     それは同時に
     彼を信じ彼とともに戦った
     仲間たちとともにあったことであり
     彼を標的にし彼にぶつかった
     対戦相手とともにあったことでもある
     決勝戦は静かだった
     五万五千の大観衆がいながら
     どよめきが固っていた
     そして あろうことか彼は
     ノーヒット・ノーランで幕を閉めた
     怪物の夏であった

     風流をやせがまんの別の呼び方と考えた作詞家は、『昭和と歌謡曲と日本人』に〈わが家の冷房装置を全廃し、タラリと汗をかきながら、高校野球の日々の詩を書いている〉と記しています。「怪物の夏」もそんな中から生まれたのかもしれません。
     とまれ、四季があることの意味を受けとめて、健気に、一途に生きる。そんな生き方を、日本人が取り戻すための、阿久悠からの最後の贈り物だ。(2018/3/9)
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    投稿日:2018年03月09日
  • 国内外で多くの熱烈なファンがいる中村文則さんの、13冊目の本です。2002年に『銃』でデビューして以来、個人の内面を深く深く掘り下げた純文学を書いてきた中村さんは、特に2009年に単行本が発売された『掏摸』以降は、純文学的な深さを追求しつつ、物語としての面白さも積極的に作品に取り入れています。今回ご紹介する『去年の冬、きみと別れ』は、純文学的な深みを持ちながら、様々な仕掛けが施された、超一級のミステリーです。

    母親から見捨てられ、暴力的な父親から逃れ、姉とともに施設で育った写真家の男が犯した殺人事件を巡る謎を、編集者から依頼を受けたライターの男が追います。ここでいう謎とは、事件で何が起こったのか、ということだけでなく、登場人物たちの心の内面の謎も含まれています。文体は、一人称の地の文だけでなく、手記、モノローグなど様々な手法が駆使されており、場面転換も鮮やかで、読み始めたら物語世界にぐいぐい引き込まれていくと思います。そして最後には、とんでもないどんでん返しが待っています。

    この作品は、ミステリーとして読んでも面白いですが、自分とは何か、認識とは何か、自分の奥底に秘められた真の欲望とは何か、といった純文学的なテーマも踏まえられており、これも作品の大きな魅力となっています。
    「……想像してみるといいよ。異様な犯罪を犯した人間の話を、そんな至近距離で、内面の全てを開かされる。……まるできみの中に、僕を入れていくみたいに。」
    冒頭の場面で写真家の男が語ったこの言葉に、私は心をわし掴みにされてしまいました。

    自分はなぜ自分なのだろう、自分は本当は何を望んでいるのだろう、自分がもし同級生のあいつだったらどんな人生を送るのだろう……。子供の頃、私はしばしばそんな想念にかられることもあったのですが、いつしか心の底に封印していました。中村文則さんの小説を読んでいると、そうした封印したはずの想念が、ぐいっと表に引き出される瞬間があって、そのたびに驚かされます。同じように感じている人は、きっと多いと思います。だからこそ、中村さんに熱狂的なファンが多いのでしょう。
    なお、この本作のテーマは、後年に発表された小説『私の消滅』で、さらに深掘りされています。電子書籍化されていないのが残念ですが。

    写真家の男が、内面が空虚な人間として描かれているのも、面白いと思いました。今はデジタルカメラが主流なので想像しにくいかもしれませんが、カメラとはカメラ・オブスクラ(暗い部屋)の略で、フィルムカメラのレンズとフィルムの間には、ただ暗い空間があるだけです。レンズを通過した光が暗い空間の中で反転し、フィルムに焼付けられる。その光の量や像のボケ具合は、絞りとシャッタースピードで調節される。ただそれだけの仕組みなのです。私は学生時代、フィルムカメラをいじりながら、自分の心の空虚さを思っていたこともありました。なんとも暗い人間でしたね。しばらく忘れていましたが、この小説を読んで思い出してしまいました。

    中村さんの小説の紹介文を書くのは恐ろしい行為です。なぜならそれは、自分の内面をさらけ出す行為であり、この紹介文を読んだ人に果たして共感してもらえるのかどうか、ものすごく不安になってしまうからです。
    純文学としての深さと、エンターテインメントとしての面白さを併せ持つ本作は、2015年本屋大賞にノミネートされ、2018年には映画化されました(3月10日公開)。ぜひこの機会に、この恐ろしくもやめられない作品世界を覗いてみてください。
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    投稿日:2018年03月09日
  •  第44回(1998年)江戸川乱歩賞を受賞した池井戸潤の作家デビュー作品である。受賞に際して池井戸潤は、
    「私がかつて勤めていた銀行で本当にあった倒産とそれに関する様々な出来事をモチーフにした金融ミステリーです。実際に事件とかかわった身としては、書きたくて書いたというより、どうしても書かなければならなかったと言ったほうがしっくりくる、因縁の作品。本当は忘れてしまいたいような出来事なのに、忘れられない。心の中でしこっていたものをなんとか整理するために書いた小説」
     と、この作品の意味合いを語った。

     そして、「銀行を退職して三年になりますが、いまようやく自分の選択が正しかったと心から思えるようになりました。作家になるのは私の夢(Vision)です。今回の受賞で、私はその夢を実現させるための挑戦権を得たに過ぎません」と続けた池井戸潤は、その後の10年あまりの間に、吉川英治文学賞新人賞受賞作『鉄の骨』(講談社、2014年3月14日配信)、直木賞候補作『空飛ぶタイヤ』(講談社、上・下、2014年3月14日配信)、主人公の決めぜりふ「倍返しだ!」が流行語となって話題沸騰のTVドラマ原作「半沢直樹」シリーズなどを続々と発表。2011年に『下町ロケット』(小学館、2015年8月14日配信)でついに直木賞を射止め、いまや時代を代表する人気作家となった。

     そのデビュー作『果つる底なき』に、こんな一節があります。

    〈そして悲しみは怒りに変わる。しっかりとした方向性を持った怒りだ。
     私は閉じた瞼(まぶた)の裏側で、……に対峙する。
     形もなく、概念もないもの。あるのはただ、醜い思念のみ。まさに暗渠だ。魂の深淵、果つる底なき暗澹(あんたん)たるもの。それは単に価値観などという尺度で説明しうる範囲を超越している。始まりも終わりもなく、きっかけすらつかめない狂気。これ以上、こいつを生かしてはおけない。〉

    「果つる底なき暗澹たるもの」。書名はここから来ているわけですが、この狂気に対する怒りこそ、池井戸作品に通底する根なのではないか。その意味で、デビュー作品『果つる底なき』は、「金融ミステリー」から出発して企業社会のさまざまなテーマに幅を広げてきた池井戸潤の作家としての原点だ。「果つる底なき暗澹たるもの」に対する怒りこそは、池井戸作品に共通する“根”なのだ。

     物語は、二都(にと)銀行渋谷支店の中堅行員が急死して始まります。死因は蜂に刺されたことによるアレルギーの過剰反応──アナフィラキシー・ショックだった。
     その日の朝、渋谷支店融資担当課長代理の伊木遥(いぎ・はるか)は、業務用車両駐車場に向かう途中、同期入行で債権回収担当課長代理の坂本健司と偶然一緒になり短い会話を交わした。

    〈「回収か」
    「ああ。でかいぞ」
     いったん立ち止まり、また歩き出す。横顔に緊張感が見て取れ、普段なら飛び出してくる冗談のひとつもない。
    「今日はどこ?」
     坂本は答えの替わりに、にやりと笑った。
    「なあ、伊木──」
     歩きながら私の肩に腕をまわし、急に悪戯(いたずら)っぽい目でこちらを覗(のぞ)き込む。
    「これは貸しだからな」
     妙なことを言った。
    「貸し?」
    「いまにわかる」〉

     その後、坂本は代々木公園脇に停めた車の中でぐったりしているところを発見され、救急車で病院に運ばれたが、既に意識不明で午後1時過ぎに息を引き取る。
     死の数時間前に坂本が残した「これは貸しだからな」との言葉の意味するところは、いったい何なのか?「いまにわかる」と言い残した坂本だったが、翌日──事務部が坂本のオペレーティング記録をチェックしていてとんでもないことが判明する。坂本が顧客口座から3000万円を他行の坂本健司名義の口座に送金していたらしいのだ。一か月ほど前のことだった。

     坂本と言葉を交わした最後の人間となった伊木は、坂本の妻曜子と結婚前に付き合っていたこともあって、所轄署の刑事から疑惑の目を向けられ、夜帰宅したところで二人の刑事の訪問を受けます。坂本のアレルギー体質を知っていたのではないか、そして朝、坂本と言葉を交わしてからどこに行ったのかアリバイ確認が目的のようだったが、最後に3000万円が振り込まれた坂本名義の口座から現金を引き出した男の映る監視カメラ映像を見せられた。知らない男だったが、坂本の死は単なる事故ではなく、事件性があるのか。

     坂本にいったい何があったのか。坂本の業務を引き継いだ伊木は、そういうことをする男ではないとの直観を胸に、担当企業のクレジットファイルや使用していたPCを調べ始めます。
     そんな伊木の周囲で連続して“事件”が発生します。一人目の被害者は、伊木の直属上司である課長の古河。仕事を終えて伊木と二人で新宿に出て、「事件」そして「銀行」のことを語らいながら飲んだ。夜が更けて歌舞伎町の外れの淋しい通りを千鳥足でゆく古河。

    〈「坂本のこと、残念だったなあ」
     古河はふらついた足取りで私の横を歩いている。雨は止んでいた。疲れ、そして酔いも手伝って、油断していた。私はどこからか近づいてきた足音にまったく注意を払わなかった。空を見上げた。星はないな、そんなことを思った。どんよりした鈍色(にびいろ)の雲が都会のネオンの反射を受け止めているだけだ。じっとりと湿気を含んだ空気が肌にはりつく。
     足音が、すぐ背中で聞こえた。古河が振り返った。
    「おい!」
     古河が鋭い声をあげた。振り返ろうとした私に古河が体をぶつける。左腕からアスファルトに倒れ込む。痛みが走った。上体を起こし見上げた視界の中で古河と黒い塊が一つになっていた。一瞬の間だった。黒い塊が身を離す。遠い街灯の弱い輝きがかすかにその横顔を照らした。サングラス。そして、疾走する狂気を湛(たた)えた目。満たされたように唇がめくれあがり、喉仏が動いた。
     あの男だ。
     男がさっと体を反転させ、駆け出す。その手の中で何かが揺れた。ナイフだ。きらりと不気味な光を放った。
    「課長──!」〉

     刑事が持ってきた防犯テープに映っていた男だった。
     腹部を刺された古河は緊急手術で一命を取り留めた。
     前夜、伊木のマンションの郵便受けのなかで、アシナガバチが尻から毒針を出したまま、翅(はね)を毟(むし)られた無惨な姿で這い回っていた。昨夜は警告。そして今夜は、仕掛けてきた。古河は、身を挺して私を守ろうとし、伊木の身代わりになったのだ。伊木の鞄がなくなっていた。
     二人目は、副支店長の北川睦夫。
     ベッドサイドで執拗に鳴り続ける音。連日の疲れから深い眠りについていた伊木が電話の子機をつかむ。
    〈闇のなか、デジタル時計は午前五時。
    「──はい」
    「伊木君か」
     声の主を特定するのに時間がかかった。相手がわかったとき、向こうが告げた。
    「高畠だ」驚いて、私は体を起こした。
    「支店長。どうしたんです、こんな時間に」
    「──北川君が事故で亡くなった」〉

     晴海埠頭(はるみふとう)で車ごと海に転落しているのが見つかったという。
     北川副支店長と課長代理の伊木は、もともとそりが合わない。伊木が担当していた企業が不渡りを出した時、債権確保のためには深夜零時過ぎでも平気で社長宅に押しかけたのが北川副支店長だ。午後5時以降の督促は違法。サラ金が禁じられていることを、銀行がやっていいわけがない。非常識な行為だった。
     その企業──東京シリコンは結局、倒産に追い込まれ、社長は相模湖畔に停めたメルセデスのなかで命を絶った。坂本は倒産した東京シリコンを伊木から引き継いで、債権回収に動いていたが、なにか掴んでいたらしい。その痕跡をたどる伊木が深夜、支店の地下2階の書庫である振込依頼書を探し始めて1時間ほど経過した時──。

    〈「何をしている」
     そのとき、突如、太い声が室内に響きわたり、私ははじかれるように顔を上げた。
     北川が立っていた。入り口で仁王立ちになり、猜疑心(さいぎしん)に満ちた目で私を凝視している。
    「調べものです」
     私は綴りを箱の中へ戻した。
    「書庫の管理者は君じゃないだろう」
     北川は私のところまで来ると、足元に転がっていた鍵に目をとめ、咎(とが)めた。
    「調べものがあったので、宮下代理に借りたのですが」
    「管理者を任命するのは私だ、伊木」
     北川は私の足元にある振込依頼書の箱を見下ろした。「何を調べていた」
    「取引先から振り込みの確認を受けたものですから。でも、もう終わりました」
     適当にいい繕(つくろ)って立ち上がった。北川は動かなかった。そのため、通路の出口を塞いだような格好になっている。
    「前場所(ぜんばしょ)からの申し送り通りだな、伊木。お前、まだ企画部での失敗に懲りてないのか。勝手なことばかりすると次も期待できない。そう覚悟しておいたほうがいい」
     北川は下卑(げび)た笑いを唇の端に浮かべて、踵(きびす)を返した。その姿が入り口の向こう側に見えなくなってから、私はもう一度振込依頼書の綴りを手にとった。
     綴りは、端を揃えてドリルで穴を開け、プラスチック製の芯で留められている。支店に備えつけられた機械で簡易的に処理されたものだ。
     仔細に調べると、芯になっているプラスチック部分に小さな紙片が挟まっているのを見つけた。それが何を意味しているか考えるまでもなかった。
     誰かが持ち去ったのだ。〉

     不審なことはそれだけではなかった。伊木の机の上に置かれた資料が席を離れていた僅かな時間になくなっていた。また、坂本のパソコンの中のデータが坂本の通夜の夜に更新されていた。いったい、行内のだれが?
     休日の夕刻。支店内を常時映している防犯ビデオ入手に動いた伊木の自宅マンションを、北川副支店長が訪れた。思いもかけない訪問に伊木の頭の中で警報が鳴る。

    〈「何を調べている」
    北川はくってかかるように言った。
    「なんのことかわかりませんが」
    「とぼけるな。お前が防犯カメラのテープを持ってることぐらいお見通しだ」
    「さあ、なんのことですかね。そんなことを聞くためにわざわざ休日にいらっしゃったわけですか」
     組んでいた指を拳にし、右の膝の上を叩いた。
    「ふざけるのもいい加減にしろ。これは支店にとって重大な問題なんだ!」
    「支店にとって、ではなく、あなたにとってじゃないんですか」
    「きっ、さまぁ!」
     北川は立ち上がり、私の胸ぐらを掴んだ。Tシャツが伸び、北川の拳に巻きついている。「出せっ! どこだっ、出せっ!」
    「なにをそんなに怯えているんです」
    「うるさいっ!」(中略)
    「ひとつだけ忠告してやる。いい気になってちょっかい出してるといまに吠(ほ)え面(づら)さらすぞ、伊木。この件から手を引け。いつまでも突っ張って生きていられると思ったら大間違いだ」〉

     北川副支店長の顔面から血の気が失せていた。いままで浮かべていた怒りの表情と絶望が混在し、奇妙な具合に表情が歪んでいた──それでも精一杯の捨て台詞を残して伊木の部屋を出て行って数時間後、北川副支店長は晴海埠頭で転落死した。伊木には、事故だとはとうてい思えなかった。まして、自殺のはずはない──。

     いったい銀行の暗闇でなにが行われているのか。伊木が後を託した東京シリコンのために奔走していた坂本は、なぜ死ななければならなかったのか。〈これは貸しだからな〉の意味を求めて銀行の内部腐敗に挑む伊木の孤独な闘い──果つる底なき暗澹たるものに対する池井戸潤の挑戦は、ここから始まります。(2018/3/2)
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    投稿日:2018年03月02日
  • 「明治維新150年」が称揚されています。明治維新よって日本は近代化に舵を切り豊かな国となったとして明治以降の150年を日本が誇るべき時代だとする一方で、それ以前の近世──江戸時代は遅れた封建制の社会であり、鎖国によって世界から取り残されていったと負の側面をことさら強調する。
     そんな歴史観に一石を投じた歴史小説があります。浅田次郎『黒書院の六兵衛(上・下)』(日本経済新聞出版社、2014年12月19日配信)です。
     江戸最晩年、慶応年間の江戸城明け渡しに際して、城中に座り続けながら、黙して語ることのない謎の武士を巡る悲喜こもごもの物語。書名にある「黒書院」とは、将軍が常日ごろ政(まつりごと)を行う御座敷のことで、総檜造りの御殿の中では唯一、赤松の材が用いられており、黒書院の名は、しっとりと沈んだその色合いにちなむという。
     殿中に座り続け、最後には黒書院──御殿の奥深い高貴な座敷に端座したのが、的矢六兵衛(まとや・ろくべい)という名の御書院番士。戦時には主君の御馬廻りに近侍する騎士であり、平時においては御身辺の警護をするのが役割だ。
     この時期──旗本中の旗本である御書院番士といえば、ある者は鳥羽伏見の戦で討死し、ある者は脱走して奥州の戦に奔り、またある者は上野の彰義隊に加わった。10組500人の番士は今やちりぢりで、すでに軍隊の体容はない。そもそも、いないはずの勤番士が殿中にいる、ということそれ自体がどう見ても奇怪──。
     鼻梁の通った浅黒い顔には何の感情も窺えません。的矢六兵衛は、なぜそこにいるのか? なぜ、石仏に化身して座り続けるのか?

     時代変わりの真っ只中、先の見えない不安が江戸の町に重くのしかかっている。ミステリーめいた物語は、こう始まります。

    〈その日の江戸は鼠色(ねずみいろ)の糠雨(ぬかあめ)にまみれていた。
     濠端柳の若葉も土手に萌え立つ草も春の緑とは見えず、空は涯(はて)もない鈍色(にびいろ)である。風は生温(ぬる)く腐っている。
     生まれ育った江戸の景色が、なぜかきょうばかりは見知らぬ町に思えて、加倉井隼人(かくらいはやと)はしばしば馬を止めた。
     隊長が止まれば隊列が止まる。しかし三十人のどの顔にもさほど不審のいろはない。やはりおのれひとりの思い過ごしかと思うて、隼人はふたたび駒を進めた。めざすは外桜田の御門である。
     夢か現(うつつ)かと思えるほど急な話であった。まだ暗いうちに宿直(とのい)の御小姓が門長屋にやってきて、隼人を叩き起こした。表御殿の御用人部屋に急ぎ参れという。〉

     加倉井隼人は、御三家筆頭、尾張徳川家江戸定府の御徒組頭(おかちぐみがしら)にすぎません。藩主はじめ家来のあらかたは国元に帰っていましたが、いかに手不足とはいえ留守居の御用人から、直に急用を申し付けられるはずはない・・・・・・そんな疑問を感じながら向かった市ヶ谷の尾張徳川家上屋敷。御用人部屋で待ち受けていたのは、西洋軍服を着た見も知らぬ侍たちだった

    〈官軍の先鋒が尾張屋敷に入ったという噂は耳にしていたが、置行灯(あんどん)ひとつの薄暗い小座敷で取り囲まれれば、何か思わぬ濡れ衣でも着せられたか、さもなくば狐狸妖怪の仕業かと疑うた。
     官軍の軍監と称する土佐の侍は、一揃いの西洋軍服と羅紗(らしゃ)地の陣羽織を隼人に勧め、さらには赤熊(しゃぐま)の冠り物まで押しつけた。
     曰(いわ)くところはこうである。
     東海道と中山道を下った官軍はすでに品川と板橋に宿陣し、来たる三月十五日の江戸総攻めを待つばかりであったが、このたび勝安房守殿の談判により不戦開城と決した。ついては、まもなく勅使御差遣のうえ江戸城明け渡しの運びとなるところ、まずは御三家筆頭たる御尊家に物見(ものみ)の先手(さきて)を務めていただきたい。聞けばそこもとは父子代々江戸定府(じょうふ)との由、知己も多く勝手もわかっておろうゆえ、この大役は余人をもって代えがたい──。
     要するに加倉井隼人は、江戸城明け渡しに先んずる官軍の、俄(にわ)か隊長を命ぜられたのである。〉

     官軍が入城するに先立っての露払いというわけで、まず命などいくつあっても足るまい、と肚を括った加倉井隼人は、すわ何ごとぞと青ざめる女房を宥(なだ)め、赤児もろとも抱きしめて金輪際の別れみたような真似もして、あわただしく出発した。付き従う配下の徒士たちは、やにわに軍服を着せられ鉄砲を持たされて俄か官兵となったのですから、まるで夢見ごこちの様子。日頃の勤めといえば市ヶ谷屋敷と戸山御殿の門番で、得物は六尺棒と限っているのだ。
     命をはかなむごとく糠雨のそぼ降る朝。とまどいながらも、相手が誰であろうと、けっして頭は下げるな謙(へりくだ)るなと思い定めた加倉井隼人率いる一隊を、外桜田門で黒い蝙蝠(こうもり)傘をさした一団の武士が待っていた。西の丸目付と使番(つかいばん)。どちらも千石取りの大身です。

     すこし横道にそれますが、浅田次郎は外桜田門について、こんなふうに書いています。
    〈江戸城の総構えのうち、どこが最も美しいかと問えば、多くの人は「三宅坂から望む外桜田門」と答えるであろう。
     しかし八年前の申(さる)の年に御大老暗殺という大騒動が起きて以来、その風景は紗を掛けたように翳(かげ)って見える。美しいがゆえになおさらである。〉
     そして、その外桜田門で〈黒い蝙蝠傘をさした一団の武士〉がにわか官軍の先遣隊を待っていたとし、
    〈旧幕臣の間には、この黒木綿の西洋傘が流行している。権威を奪われた侍たちが、雨降りにも日盛りにも、黒羽織に蝙蝠傘をさして歩む姿は暗鬱(あんうつ)きわまりなかった。そのうえ彼らは、おしなべて寡黙である。〉
     と続けるのです。旧幕臣の間で黒木綿の西洋傘が流行していたというのも耳新しいエピソードで、それをさりげなく小道具にもってくるところがうまい。8年前に大老暗殺があって今もなお翳って見える外桜田門にて糠雨の中、にわか官軍の一隊を待つ黒い蝙蝠傘の武士の姿──何が起きているのか、どんな時代状況なのか、絵的ですっと入ってくる浅田次郎らしい文章表現に引き込まれていきます。

     話を元に戻します。江戸城内に入った加倉井隼人、西の丸留守居役、内藤筑前(ないとう・ちくぜん)守に案内されたのは、勝安房守の部屋。西郷隆盛と江戸城不戦開城の談判をした勝海舟です。〈ちと、話がある〉と切り出した勝安房守。やっかいな相談事を持ちかけてきます。

    〈「・・・・・・実はこの西の丸御殿の中に、どうしても了簡できぬ侍がひとりだけおる」
     背筋にひやりと悪寒を覚えた。いくつもの門を潜り、畳廊下をいくたびも折れてたどってきたこの広い御殿のどこかしらに、勝安房守の説得に応じぬひとりの侍がある。想像のしようがないだけに、その「ひとり」が人間ではない何ものかに思えたのだった。
     江戸を戦場にせぬという談判の成果は、そもそも御城内にある侍たちの悲願であったにちがいない。だからこそみながみな、整斉と勝安房守の差配に服(まつろ)うているのである。しかし、応じぬ者がひとりだけいる。
    「のう、加倉井さん。そうと聞いては帰るわけにもいかぬだろう。どうだね、会うてみるか」
     はたして御城が引き渡しの勅使を迎えられるかどうか、つまるところ命がけのおのれの使命はそれに尽きるのである。よもやこれをなおざりにして帰れるはずはあるまい。
     饒舌な勝安房守は、茶を喫しおえる間、なぜか一言もしゃべらなかった。
    「では、参ろうか」
     ほの暗い畳廊下に出た。〉

     勝安房守と西郷隆盛との間で成立した「不戦開城」の合意にどうしても従わない侍が江戸城内にひとりだけいる。そのままでは城引き渡しの勅使を迎えることはできません。それこそが官軍の俄(にわ)か隊長にされた加倉井隼人の使命というわけです。隼人を男が端座する御書院番の宿直(とのい)部屋に伴い、〈西郷さんとの約束だ。力ずくではのうて、何とか説得しなければならぬ〉と託す勝安房守の横顔は悲しげだった・・・・・・物語は、御禄百五十俵の御徒組頭、加倉井隼人を視点人物に進みます。

     江戸城総攻めを待つばかりとなっていた春、3月に始まり、明治天皇を江戸城に迎えるまでの10か月もの間、江戸城内に座り続ける謎の旗本、的矢六兵衛とその六兵衛を立ち去らせることにのみ腐心した官軍俄か隊長、加倉井隼人。六兵衛とはいったい何者なのか。なぜ、城内に留まり続けるのか。その思いはどこにあるのか。黒書院を繞(めぐ)って立ちすくみ、あるいはひれ伏す人々の間を這いずり回った加倉井隼人がついに悟るものは何か。

     時代が大きく変わってゆく幕末の時の移ろいを、浅田次郎は多様な「雨」を使い分けて描いています。加倉井隼人が初めて江戸城に入る日──〈江戸は鼠色(ねずみいろ)の糠雨(ぬかあめ)にまみれていた〉と書き出しにあり、ここから物語が始まることは先述の通りです。
     下谷稲荷町に広大な屋敷を構える的矢家に “異変”が起きた日のことを、人相のよからぬ奴(やっこ)が〈おととしの秋、慶応二年寅の歳の秋でござんす。ちょうどきょうみてえに、長雨がしとしとと降る日のことでござんした〉と語ります。長雨が続くなか、両替屋の看板を隠れ蓑にあこぎな商売をする高利貸しが屋敷に乗り込んできた目的とは何だったのか。
     東征大総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が到着し、官軍の本営となった江戸城に、尾張の徳川慶勝公が乗り込み、的屋六兵衛と対面した日は、〈慶応四年五月。江戸は欝々(うつうつ)たる霖雨(りんう)にくるまれて〉いた。
    「お頭はどこじゃ! お出会いめされよ、六兵衛が六兵衛が!」の声。〈折しも御中庭には時を怪しむ黒雲がかかって、稲光が閃いた。沛然(はいぜん)たる雨が降り始め〉るなかを「腹を切ってはならぬぞ、六兵衛!」と急いだ加倉井隼人。稲光に照らされる六兵衛の膝前には硯箱(すずりばこ)と一葉の半紙──「自反而縮雖千万人吾往矣──。」(みずからかえりみてなおくんばせんまんにんといえどもわれゆかん)みごとな筆跡に目を瞠(みは)った。
     明治天皇が江戸城に入り、旧幕臣が城を去る日。幼き天皇が六兵衛に会うため黒書院に出向くとむずかる一大事の報。「六兵衛に対面なされるは叡慮(えいりょ)。誰がお諫めできましょうや」と隼人──〈非常を告ぐる御太鼓が叩き出された。すると、にわかに雲が湧いて秋空をかき消し、時ならぬ雷鳴とともに驟雨(しゅうう)が白沙を叩き始めた〉

     日本語には、「雨」のさまざまな姿を表す美しい言葉が数多くあります。雨づくしの1200語を集めた『雨のことば辞典』(講談社学術文庫、2014年9月26日配信)の説明を借ります。
    ・糠雨(ぬかあめ):ごく細かい雨。霧雨。「糠雨(ぬかさめ)」「糠雨(こうう)」とも。糠のように細かい。しっとりと降り、情緒がある。
    ・霖雨(りんう):何日も降りつづく長雨のことをいう。「霖霪(りんいん)」「雨霖」とも。春の長雨が「春霖雨」、秋の長雨が「秋霖雨」。霖は、三日以上降りつづく雨。
    ・驟雨(しゅうう):夏のにわか雨。『日本大歳時記』は、夕立とほぼ同じだが、「最近、夕立とは別に驟雨として詠まれることも多くなった。木々の青葉をたたき、大地にしぶきを上げて急にふってくる驟雨は、いさぎよく、また涼を呼んで、いかにも夏の感じがある」(森澄雄)といっている。夕立と類義だが、夕立が庶民的なのに対して、驟雨には文芸的な語感がある。暑い昼下がりざあっと降ってあとに涼を残していくので、人々に喜ばれる。

     西の丸下の広場に佇(たたず)み、主人を待ちわびる奥方とご隠居夫婦と二人の男子、そのうしろに控える若党、中間奴(ちゅうげんやっこ)。馬が引かれ、槍が立てられ、最後の旗本が江戸城を去ってゆく感動のラスト。〈その日の江戸は鼠色の糠雨にまみれていた〉の書き出しで始まった物語は、徳川三百年の終焉と重なるような江戸の夕景を描く一文で終わります。

    〈秋空ははや墨色に染まり、名残の茜(あかね)はしめやかに退いていた。昏(く)れなずむほどに大名小路の甍(いらか)と白壁が際立った。
     供連れは翳(かげ)りの中をしずしずと去ってゆく。漆黒と純白のみを彩(あや)と信ずる江戸の夕景は、そのうしろかげにこそふさわしい。〉

     江戸から明治へと時代が移っていくなかで失われていくものへの想いを見つめる浅田次郎の時代長編。もの言わぬ武士の秘めた希(のぞ)み、そして移ろいゆく時代の情景を陰翳(いんえい)深く美しいことばで描く。名手の繊細なことばづかいを堪能してください。(2018/2/23)
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    投稿日:2018年02月23日
  •  猪瀬直樹さんがノンフィクション作家としての地位を確立したのは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞(1987年)の本書『ミカドの肖像』によってです。
     秀作『天皇の影法師』(中公文庫、2013年7月5日配信)を発表、若手ライターとして一部で注目を集めていた猪瀬さんが「世界史の中で天皇制を考える」という大テーマに挑戦した週刊ポストの長期連載『ミカドの肖像』が単行本になったのが、1986年(昭和61年)の12月。奥付日付は12月20日。当時、週刊ポスト編集部に在籍していて担当編集者だった私にとっては、とにかく12月中に出版しないとその年の大宅賞の対象に入らなくなってしまうという追い込まれた状況でのぎりぎりの編集作業でした。
     翌87年4月、第18回大宅賞受賞の知らせを受けて猪瀬さんの仕事場に駆けつけ、近くのレストランで痛飲した夜のことはいまでもよく覚えていますが、その本が四半世紀を経て電子書籍としてリリースされたのが2012年3月です。週刊誌連載、紙書籍ともに使われ読者の楽しみのひとつとなった石丸千里さんのイラストを収録した固定型でしたが、その後2014年10月にリフロー版(イラストは収録されていません)が配信されました(ともに小学館)。

     とまれ、猪瀬直樹さんの天皇制を問い直す旅は、皇居を見下ろす丸の内の一角に建設が計画された、ある高層ビルをめぐる物語から始まります。
     東京丸の内の一角に東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)による東京海上ビルが完成したのは1974年(昭和49年)3月ですが、建築確認申請が東京都に提出されたのは、それよりもずっと早い時期、1966年(昭和41年)10月でした。確認申請から竣工に至るまでに8年もの年月を費やしたわけですが、異常事は時間の経過だけではありませんでした。

    〈当初計画は高さ百二十八メートル、地上三十階建て(地下五階)だった。約三十メートルも高さが削られたこと、さらに、計画から完成までに費やされた不必要な時間の長さのなかに、東京海上ビル建設担当者と設計者の苦悶が堆積されている。
     彼らの忘れられた冒険をいま掘り起こそうというのである。冒険とあえて表現したのは、禁忌(タブー)に挑んだがためだった。計画が難航したのも、ビルの高さが当初の計画より低く押さえられたのも、すべて“空虚な中心”から発する奇怪な電波によって引き起こされた結果であった。そこで、電波の発生源を探し求めて歩くことになるのだが、追い詰めるとその都度、発生源は雲散霧消してしまうという不思議な現象にぶち当たった。
     僕は、それを天皇をめぐる不可視の禁忌と呼ぶことにする。
     当時の東京海上社長山本源左衛門は、ビル建設計画推進の責任者も兼ねていた。その証言は、不可視の禁忌という奇怪な現象を、あますところなく表現してはいまいか。〉

     高さ197.6メートルの新丸ビル、179.2メートルの丸ビルが林立する現在の丸の内からは想像できないかもしれませんが、当時の丸ビル、新丸ビルはどちらもピタリ百尺(約30メートル)でした。その一角に皇居を見下ろすことになる100メートルを超えるビルを建設しようというわけです。不可視の禁忌を巡る著者の冒険──山本社長インタビューの一部を引用します。

    〈いろいろといきさつがあったようですが・・・・・・。
    「ヘリコプターを飛ばしたんですよ。ヘリコプターってのは、そんなに低く飛べませんからね、三百メートルくらいの高さになります。そこから見えるかどうかとね。いろいろな角度から実験してみたんです」
     どちらを?
    「あそこですよ。あ、そ、こ。三百メートルもの高さだって見えやしませんよ。見えたって、御文庫の玄関と車寄せのところがせいぜいですよ。覗こうたって覗けるもんじゃありません。そういう実験をしたんだから、大丈夫という自信があった」
     見えないのなら、あちらの方面が反対する根拠はありませんね。
    「そう、そうなんですよ。それで、当時の宮内庁長官の宇佐美(毅(たけし)、昭和28年~53年まで長官)さんのところに出掛けた。そして、こういうビルをつくるけれど、いっさい見えないから安心してください、と報告しました。するとそういう話は宮内庁では問題にしてません、と言ったんです」
     じゃあ、誰が問題にするんでしょうかねえ。
    「右翼、ということも考えられますから、つてをたどって児玉誉士夫(こだまよしお)さんのところに挨拶に行ったほうがいいんじゃないかと、まあ、そういうことになりまして。児玉さんはこう言ったですよ。“そんなバカなことをね、この時代に言うのが右翼だと短絡するのが困るんだ。天皇さまが、あそこのお庭を歩いているのが見えたりするのも、皇后さまが三越でショッピングできるようになったりするのも、あっていいんだ。そうして国民に親しむのがこれからの皇室のありかたなんですよ”」〉

     自信をもって宮内庁長官に説明をしにいきますが、「そんなことは問題にしない」というばかりで事態は進捗しない。伝手をたよって右翼の児玉誉士夫にも挨拶にいくが、やはりここでも「問題」はない。どこにも「問題」はないのだが、それでも新たな問題が次から次へと発生して、結局8年がかり、高さを30メートル削って、ようやく竣工の日を迎えることができたというわけです。
     東京海上ビル問題への小さな疑問から昭和ニッポンの禁忌(タブー)の存在に行きついた猪瀬さんは、「ミカド」という記号を軸に近代日本の足跡をたどり直したノンフィクションの不朽の名作を世に送り出しました。
     本書に続くシリーズ第2弾『土地の神話』(小学館、2013年4月12日配信)、第3弾(完結編)『欲望のメディア』(小学館、2013年5月3日配信)も併せてお読みください。
    (2018/2/16)
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    投稿日:2018年02月16日