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  • 新装版 海も暮れきる
     たぶん多くの人と同じで、国語の教科書でこの句に出会いました。 五七五でも五七五七七でもない一行の所感、もはや独り言にしか見えない、これはなんなのか。わからない。自由律俳句と説明されたところで、やっぱりわからない。
     なんなんだ、わからないなあ、という感慨が強烈で、以来その句と作者の名前は、記憶のすみに残っていたのでした。

     名家に生まれ一流大学を出て一流会社に入りと立身出世道まっしぐら。しかし酒で身を持ち崩し、すべてを投げ捨てる。仮住まいを繰り返し、瀬戸内海の小さな島に行き着くも持病の結核が悪化、八ヵ月のうちに一生を終える。
    大正時代の俳人・尾崎放哉。その最後の八ヵ月を書いたのが『海も暮れきる』です。

     心情や病状の変化を別にすれば、全編を通して放哉の行動に大きな変化はありません。金銭や食物を知人に無心する手紙を書き、節食に徹しようとしてはつい贅沢し、よくしてくれる人に心中で感謝し、酒を飲んで暴言を吐いては後悔する。望んで独居しているのにたまの友人の訪問は手土産含めて諸手を挙げて歓迎し、見るからに人恋しそうな句を詠む。

     島に来て日の浅いうち、生活の不安から泥酔したあと、夜の海辺で島の子らに出会うという場面があります。「どうせ生きていても仕方のない境遇で、酔いつぶれて海に身を沈めた」い、と彼らに駄賃をやり、小舟を出させる放哉。しかし、「海に身を投じようという気持が何度も湧いたが、濁った意識の中で子供たちを驚かせてはならぬと自らに言いきかせていた。これほど従順に従ってくれた子供たちに、刺戟をあたえるようなことはしたくなかった」と、自死をあきらめる。

     この場面に限らず、一貫して描かれる、決断を迫られた時に、利己的にも利他的にも、真っ当にも破滅にも踏み切れない性質。その人間らしさに、いっぺんにひかれてしまいました。

     もちろんこの本は、帯にもあるように、あくまでも小説です。しかし、読んでいるとついそれを忘れてしまうのは、やはり綿密な取材の成果なのでしょう。作者の吉村昭さんは実際に島に赴き、放哉と交流した同時代人たちの回想を基にこの本を書いています。挿話が、織りこまれる書簡や句の引用と矛盾せず遜色なく、放哉の人柄を伝えてきて、八ヵ月を追体験するような気持ちになるのはそのためなのでしょうか。

     尾崎放哉、という記憶にある名前と、故郷の島が舞台になっているという理由からこの1冊を手に取ったのは大学四年生の休暇中です。そんな軽い気持ちで手を出したのに、その夏はこの本と『尾崎放哉随筆集』ばかり読んだような。そして、終の棲家になった南郷庵を訪れるに至りました。訪問時には障子が閉め切られており、題に引かれた句のようには海は見えませんでしたが、蝉の声が物凄かった。「蝉の声が空間を密度濃く占めていて、庵が滝壺にでもあるようだった」というこの本の一文を思い返し、初秋にここを訪れたという吉村昭さんばかりか、尾崎放哉も同じ蝉の声を聴いたかもしれないと、楽しいモウソウにひたっておりました。

     ところで、先述の『尾崎放哉随筆集』は講談社文芸文庫から出ています。随筆集と銘打ちながら書簡や句も併録された盛り沢山な内容ですので、そちらもおすすめです。

    (2014.05.01)
    投稿日:2016年02月24日
  •  ♪あなた知ってる 港ヨコハマ
     昭和の人気歌手、青江三奈が歌った「伊勢佐木町ブルース」(1968年1月発売)。川内康範の詩の一節、「みなとヨコハマ」を繰り返すハスキーな歌声が今も耳に残っていますが、「港ヨコハマ」でなく、「横浜港」とあれば、「よこはまこう」と読むのが普通です。「神戸港」「函館港」……「○○港」は「○○こう」で、「○○みなと」とは読みません。かつてディック・ミネが「♪しみずみなとの 名物は~」(「旅姿三人男」)と歌った「清水港」でさえ、港湾施設としては当たり前に「しみずこう」と呼ばれています。旧い世代には耳に馴染んだ「しみずみなと」ではありません。
     それが日本語の常識だと思うのですが、その常識を超えて「オマーンみなと」と読んだTVアナウンサーがいたという。新書ベストセラー『京都ぎらい』(朝日新聞出版、2015年10月9日配信)に先立って著した京都・大阪文化論『関西人の正体』(小学館、2015年3月13日配信)で、井上章一さん(国際日本文化研究センター教授)は、「言葉」をめぐるテレビ人間たちの不思議な感覚を、自らの体験を通してこんなふうに書いています。

    〈もう、何年くらい前になるだろうか。たしか、オマーンの港で大災害があったときのことだ。テロなどの人災か、天然災害か、はたまたほかの事故か。そのあたりのことは、いっさい記憶にない。おぼえているのは、この事件を報道するアナウンサーの言葉づかいである。どの局の誰だったかは知らないが、私の見たニュース番組では、アナウンサーがこんなふうにしゃべっていた。
    「ただ今、オマーンみなとの火災は……」と。
     そう、そのアナウンサーは、「オマーン港(こう)」とはいわなかった。「オマーンみなと」と発音したのである。
     苦肉の策なんだろうなと、そのときは思った。「オマーン港(こう)」と発音してしまえば、女の陰部に聞こえてしまう。それがまずいということで、「港(こう)」を「みなと」にしてしまったにちがいない。テレビにもいろいろ苦労があるんだなと、そのときは一視聴者として、笑わされた。べつに、腹をたてたりはしていない。
     だが、「オメコメ」の一件で、私の考え方は一変した。〉

    「オメコメ」の一件とは何か?
     在京キー局の生番組本番中、目の前のモニター画面に突然、
    「オメコメ」
     この4文字が大きくうつし出され、スタジオの井上章一さんは絶句した――。
     結婚や婚約などへのお祝い、すなわち「おめでとう」コメントを、テレビの業界用語で「オメコメ」というそうです。井上さんが生出演していたその日も、有名人同士の婚約発表があったというので、「オメコメ」をとっていた。友人や関係者に録画でお祝いを語らせようという趣向で、モニターに「オメコメ」の4文字が大きく表示されたのも、そのためです。さあー、これからは「オメコメ」の時間ですよというわけで、普通の演出・進行ですが、この業界用語を知らなかった井上さんにとっては、頭がまっしろになってしまうほどの、想像を絶する事態でした。

    〈えっ、オメコ……メ。
     オメコ……メだって。
     まさか、そんな。
     テレビで、そんな文字、うつし出していいのか。(中略)
     関西では、女性の陰部を「オメコ」という俗称で呼んでいる。性行為のことも、同じ言葉で示している。関東の「オマンコ」に相当する言葉である。
     はっきりいって、口にするのも恥ずかしい。ここでは、思いきって書いてしまったが、文字にするのも、抵抗がある。そんな文字を生番組の出演中に、いきなりクローズアップで見せつけられたのだ。関西人の私に、うろたえるなというほうが無理だろう。
     私なんか、街を歩いているときに、「おこめ」という米屋の看板を見るだけで、テレてしまう。
     えっ、おめ……
     ああ、違う違う、おこめ、お米や。
     一瞬、おめ……かいなと思うて、びっくりしたやんか。〉

     井上章一さんは、この後に「おめこぼし」という言葉についての関西出身作家の中島らもさんと、自身がそれぞれ抱いていた妄想――まさに抱腹絶倒の猥談ネタです――を紹介しているのですが、それについてはここでは触れないでおきます。

     問題は、「オマーン港(みなと)」と読み替えたところに首都圏の横暴が露呈しているところにある――と井上さんは次のように書くのです。

    〈……私がいいたいのも、「おこめ」や「おめこぼし」に関する猥談ではない。ようするに、関西人は、この言葉に敏感だということを、訴えたいのである。
     東京の全国ネット・テレビ局にも、気をつけてほしいものだ。かるがるしく、「オメコメ」なんて、いわないでほしい。関西人は、この言葉に、いやおうなくドギマギさせられてしまうのである。
     ふだんは、あれだけ放送禁止用語に神経をとがらせているくせに「オメコメ」……。
     きっと、東京のテレビは、関西なんか眼中にないんやろうな。出演者が関西人だということにも、それほど配慮はしとらんのやろな。〉

    〈「オメコメ」がまかりとおるのに、「オマーン港」はかくされる。これは、あきらかに関西に対する差別である。東京のキー・ステーションは、首都圏の視聴者に対する配慮はおこたらない。だが、関西人の気持ちは黙殺する。そう、そこには、情報の東京一極集中という現状が、うたがいもなく露呈されているのである。〉

     江戸期までは京都を中心とする関西地方が文化の中心地でした。いうまでもなく、関所の向こう側――辺境を意味する「関西」という言葉は使われていません。中央政府、すなわち皇居の感化が及びうる「畿内」と呼ばれていました。現在の「近畿」という呼び方はここから来ていますが、どうやら、経済・文化の中心が東京に移り、さらに一極集中が進み、一方西の地盤沈下と並行するようにして「畿内」がすたれ、「関西」が浸透してきているというわけです。関西新空港、関西学研都市……「近畿」という呼び名さえ愛用されなくなっており、地元が声高に唱えているのも「関西復権」だ。

     井上さんの「関西」への思いは複雑です。

    〈私は、いわゆる関西人論がきらいである。よくいわれるこのての議論は、しばしば関西人を蛮族として描き出す。
     いわく、関西は俗悪である。街を行くひとのファッションも、ケバい。とまあ、未開民族の心性になぞらえたような話を、しばしば耳にする。関西では百貨店でも値切れるらしい。この話も、関西人の土俗性を強調するために流布された物語だと思う。正札販売という近代的なルールは、まだ関西にはおよんでいない。あそこには、前近代的な商慣行が残っている……。
     私がきらいなのは、こういう言いまわしにひそむ、思いあがりである。関西は、民度が低い。そうきめつけて、関西人を見下すような視線である。ほんとうに、不愉快だ。
     だが、この偏見、ひょっとしたら、あたっているのかもしれない。関西は、ほんとうに土俗的で、前近代的で、民度が低いのではないか。認めたくはないことだが、そんな気もする。百貨店で値切れてしまったことは、私をそんな心境に追いこんだ(引用者注:著者は本書第四章で、京都の百貨店でブルゾンを結果として値切ってしまった経験を開陳しています)。
     薄々そうなのではないかと、おそれている。私が、関西土俗説を認めたくないのは、そのせいかもしれない。自分でも、心のどこかでそうではないかと不安がっているからこそ、むやみに否定する。そんな心のメカニズムに、おちいっているのではないか。〉

     関西に対するアンビバレントな思い。井上章一さんは本書書き出し第一行目に、〈私は、京都に生まれ、京都に育った。今も、京都に住んでいる〉としるしています。読む人は誰でも生粋の京都人と思います。初出は、小学館発行の「月刊DENiM」連載(1993年1月~95年2月)。それから22年たった2015年――井上章一さんが世に出した『京都ぎらい』がベストセラーとなって、井上さんは時の人になりました。
     いったい井上章一さんに何があったのか。この22年の間に何が起きたのか。井上ファンとしては、ドキドキ、ワクワク、興味津々の2冊の「関西学」なのです。
     京都に対するアンビバレントな思いを内に秘めながらも、「関西」を多面的・多角的に論じた『関西人の正体』に、じつは『京都ぎらい』の芽が仕込まれていました。

    〈私は、京都の嵯峨野で育った。嵐山のすぐそばだ。百人一首で有名な小倉山のふもとでもある。さらに、結婚してからは、宇治に引っ越した。今はだから、宇治市民である。
     嵯峨に育って、宇治で暮らす。こう聞けば、他地方のひとは「いいですね」と思われようか。だが、京都人はけっしてそう感じない。中京(なかぎょう)や上京(かみぎょう)あたりのひとは、嵯峨や宇治と聞くだけで、軽蔑(けいべつ)の色を顔に浮かべるはずだ。
    「ああ、そうですか、井上さんは京都のお方と違うんですね」
     さすがに、そう口頭でいわれることはない。だが、街中の連中は、まちがいなくそう思っている。これはひがみ根性でもなんでもない。自信をもって、そういえる。〉

     一筋縄ではいかない京都の雅。一皮むけば何が出てくるのか。目からウロコの関西論2冊、一気読みであなたの関西を見る眼が変わっているはずです。(2016/9/23)
    • 参考になった 2
    投稿日:2016年09月23日
  • 匿名希望
    内容は素晴らしいが、構成に難あり
    内容は文句なく素晴らしいのだが、構成が画図、翻刻、現代語訳の三章に分かれており、一つの奇談を読む場合、各章へ飛ばなければならないので読みづらいのが難点。
    奇談毎に画図、翻刻、現代語訳をまとめた方が読者のためになると思う。
    • 参考になった 0
    投稿日:2016年08月30日