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  •  背筋が凍るような恐怖感を覚えた。
     経産省在職中の2011年4月――東日本大震災、福島第一原子力発電所事故の翌月――に「東京電力破綻処理策」を提起、経産省から退職勧告を受け、9月に職を辞した古賀茂明氏の新著『日本中枢の狂謀』(講談社、2017年5月30日配信)は、安倍晋三首相とその政権を担う中枢の人たちが国民(市民)の命と安全と引き換えにいったい何をしようとしているのか、どんな国に作り替えようとしているのかを的確に、わかりやすく俯瞰した本だ。
     問題は「メディア支配」「戦争する国」から「日本経済沈没」まで多岐にわたりますが、ここでは国民各層の間に根強い原発再稼働反対の声をよそに原発を復活させてきた狂気の謀(はかりごと)――「狂謀」を見ていきたい。

     2016年8月に再稼働した四国電力伊方原発3号機について、松山地裁は7月21日、運転差止めの仮処分を求めた住民の申し立てを却下しました。3月の広島地裁決定に続いて原発の運転を容認する司法判断の流れに大筋で沿った形で、原発の新規制基準に不合理な点はないという判断です。しかし、はたして原発新規制基準は「不合理な点はない」と言いきれるものなのでしょうか。決定を下した久保井恵子裁判長も避難計画の不備については「適切な見直しがない場合に違法となり得る」と留保せざるを得なかったのはなぜでしょうか。
     古賀茂明氏は、安倍首相が「世界一厳しい」と誇る新規制基準の正体をこう斬って捨てる。少し長くなりますが、〈第六章 甦った原発マフィア〉から一部を引用します。

    〈安倍総理は、二言めには「原子力規制委員会が世界一厳しい規制基準に適合すると認めた原発は再稼動させる」と発言する。「世界一」だということへの批判が強まると、「世界最高水準の」といい換えたりするが、いずれにしても、これこそ「世界一の大嘘」だといってよい話だ。
     もちろん、二〇一一年の福島原発事故前の基準に比べれば、かなり厳しくなったとはいえる。が、それでも、世界の常識からはかなり遅れたところがあるし、基準自体は厳しくなっても、その導入が先送りにされたりする。規制の執行力も極めて弱い。
     いま私が最も信頼している原発専門家である佐藤暁(さとうさとし)氏によれば、アメリカでは、原発から半径〇・四マイル(約六四〇メートル)が立入制限区域、半径三マイル(約四・八キロ)が低人口地帯とされ、近くに人口二万五〇〇〇人以上の町があれば、そのはずれから四マイル(約六・四キロ)以上離さなければならない。五マイル以内に活断層があってもいけない。実際、建設中の原発の周辺に活断層が新たに発見され、その原発建設が中止された例もある。
     ところが日本では、活断層が原発敷地内にまで入り込んでいたり、本来は低人口とすべき地域に大きな病院が建っていたりする。とても、アメリカ並みの基準にすることはできない。
     アメリカでは、少しでも危ないなら建てないほうがいいという、ごく常識的なルールになっているのに、日本では原発の存在を何とか認めるために、ゆるゆるの規制にしているということが分かる。しかも、最近では、重要施設の下に活断層があっても安全対策を施せば原発建設を認めるべきだという議論まで出始めている。
     もし、立地に関するアメリカの基準を当てはめれば、日本のほとんどの原発は廃炉にするしかなくなる。〉

     3.11の時、私たちは「免震重要棟」がいかに重要な施設であるかを知りました。しかし、規制委はその施設の建設を5年間猶予し、さらには〈免震でなくても、同様の効果を発揮できる(意味が分からない)建物なら耐震でもよいということにしてしまった〉と古賀氏はいうのです。この一事をもってしても〈メチャクチャ〉なのですが、それどころか規制委は避難計画を規制基準からはずしてしまった。

    〈IAEA(引用者注:国際原子力機関)が打ち出している「深層防護(Defence-in-Depth)」という考え方がある。これは、原発の安全性を確保するために、五段階の安全対策をとることを各国に求めるものだ。
     その第一層は、異常の発生を防止する。第二層は、異常が発生してもその拡大を防止する。第三層は、異常が拡大してもその影響を緩和し、過酷事故に至らせない。第四層は、異常が緩和できず過酷事故に至っても、対応できるようにする。第五層は、異常に対応できなくても、人を守る、というものだ。
     こんなものがあることは、日本人のほとんどは、福島原発事故の前までは知らなかった。が、福島事故後は頻繁に、この考え方が紹介されるようになった。そこで日本も遅ればせながら、これに基づいて規制基準を作ることになった……はずであった。ところが実際には、規制基準の第五層が抜け落ちてしまった。
     第一から三層までは、主として原発施設の設計など、安全を確保する対策が中心になる。基本的には、ここまでで過酷事故(炉心の燃料に重大な損傷を与えるような事故。要するに大量の放射能の飛散を招く事態だと考えればよい)を未然に防ぐということだ。
     第四層は、過酷事故が起きてしまったときでも、それを何とか収束するための準備。施設的な対応も入るが、過酷事故発生後の人的な対応や関係機関との連携など、ソフト面の対応も重要な部分となってくる。
     そして第五層は、放射能の大量飛散が避けられない状態になったとき、とにかく人的被害を最小限に食い止めるための対策。基本は「逃げる」ための準備だと考えればよい。
     危ないから原発を動かさないのではなく、危なくても原発を動かすためには何をすればよいか、それを示したのが「深層防護」の考え方だ。しかし、これを守ったからといって、人的被害がゼロになる保証などない。ただ、原発事業者から見れば、IAEAという国際機関がいったことを守っていれば、事故が起きて大変な被害を出したとしても、「国際ルールをしっかり守っていました」という言い訳ができる。その意味で免罪符であり、また命綱でもあるのだ。
     したがって、仮に原発を動かすのであれば、最低限これをしっかり守ることが大前提になる。
     もちろん深層防護といっても、具体的な内容は、各国が決める。日本では、原子力規制委が、この深層防護の考え方を守って、五段階の規制を決める必要がある。
     ところが驚くべきことに、規制委は、最後の砦となる第五層の中核となるはずの「避難計画」の策定を規制基準の対象からはずしてしまった。この段階で、日本は国際的な常識から外れた規制を始めてしまったのである。
     もちろん、他の独立した第三者機関が避難計画を審査して、その内容の正当性を担保するのであればよいのだが、実際には各自治体が勝手にこれを決めて運用するだけで、その内容に規制委はまったく関知しないばかりか、誰もその内容を実質的に審査しない、という仕組みになってしまった。世界が五層の防護なのに、日本だけは四層の防護という欠陥をかかえたまま、原発再稼動を堂々と認めているのである。〉

     愛媛県の佐田岬半島に立地する伊方原発の場合――海沿いの細い一本道しかない場所であるため、さすがに陸路が途絶えることを想定して、船で避難させる計画もあります。しかし、港が壊れる想定はされていないし、事故のときに大きな台風が来ていたり、強風で船が着かないという事態も、「ない」という前提で計画が作られているという。どうみても計画のための計画でしかなく、過酷事故が起きた時に人的被害を最小にするための本気の行動計画とは思えません。関西電力の高浜原発で行われた避難訓練では、避難できる道路が一本しかないために、避難者を乗せた救急車が高浜原発のほうにどんどん近づいていき、最後にはその横を通って逃げるということになった、こう本書にあります。まともな避難計画もないままに原発の再稼働を認める知事や市長、そしてその最終責任を請け負う総理。原発のために住民(国民)の命を売り渡す行為――著者は厳しく断罪しています。

     安倍首相が〈世界一厳しい〉と胸を張る日本の原発規制の、これが実態なのです。2011年3月の事故直後から経産省内部で周到に準備され、一貫した意志で政権中枢によって着々と進められてきた原子力発電復活の道のりは、まさに〈嘘とまやかしの塊〉であったことを、本書は明らかにしました。

     内閣支持率の急落をうけて自ら出席を打ち出した加計学園問題の閉会中審査――「丁寧に説明する」の言葉が泣く安倍首相の答弁でした。少し脱線しますが、いま話題の書『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一&菊池良、宝島社)に想を得て、安倍首相と菅官房長官の文体模写というか、口まねを書いた文芸評論家・斎藤美奈子氏の「本音のコラム もしも首相が・・・」(東京新聞7月12日付)が面白い。国会や記者会見の場で自身の言い分だけを言いつのり、突きつけられる疑問を封殺する様子が目に浮かんで抱腹絶倒――こんな具合です。
    〈「いわゆるカップ焼きそばの、作り方につきましてはですね、これはもう、まさにこれは、そういう局面になれば、お湯を注ぐわけであります。それをですね、それを何かわたくしが、まるでかやくを入れていないというようなですね、イメージ操作をなさる。いいですか、みなさん、こんな焼きそばに負けるわけにはいかないんですよ」
     そして官房長官は・・・。
     記者「もしも総理がカップ焼きそばを作ったらという点について伺いたいのですが」。菅「仮定の質問にはお答えできません」。記者「総理は焼きそばに負けないといっています」。菅「まったく問題ありません」。記者「ですが、焼きそばは食べ物です」。菅「その指摘は当たりません」。〉

     斎藤美奈子氏は、この文章を〈誰かコントにしてくれません?〉と締めくくっているのですが、安倍首相と側近コンビの「空虚なコトバ」を射貫く批評精神に脱帽です。
     話を戻します。原発復活に限らず、メディア支配を通じて巧妙かつ周到に進められてきた安倍政権中枢の〈狂謀〉。著者の古賀茂明氏は、狂謀――日本を戦争をする国に変えるための謀(はかりごと)と真正面から向き合いました。
     報道ステーション(テレビ朝日系)出演中に、イスラム国の捕虜となっていたジャーナリストの後藤健二氏をめぐる問題で、「日本人は安倍総理とは違う」というメッセージを世界に発信するために〈I am not ABE〉と書いたプラカードを掲げようと視聴者に呼びかけた古賀氏に対し菅官房長官のクレームが間接的に伝えられ、後に番組コメンター降板に発展していった。古賀氏が安倍政権によるメディア支配、メディア劣化に対して強い危機感を抱くようになったのは当然であろう。自らが当事者となった「報道ステーション降板劇」の知られざる内幕、そして安倍官邸と読売新聞の関係――加計学園問題で勇気ある告発をした前川喜平前文科省次官が「援助交際バー」に行っていたという“スクープ”が読売新聞に出て、それを待っていたかのように菅官房長官が前川氏を人格的に貶める発言をくりひろげる。この“チームプレー”に読売新聞は官邸の御用新聞に成り下がったかといった批判が巻き起こりましたが、なんのことはありません。本書によれば、安倍官邸と読売新聞ははるか以前より親密な関係にあったのです。読売新聞社の猛反対で「訪問販売拒否ステッカー」導入が見送りとなり、推進しようとした経産省の参事官は左遷人事で、2015年8月末に霞ヶ関を去っていった。

    〈消費者のために大新聞と命懸けで闘い、菅官房長官のお友だちの読売新聞に睨まれ、最後は幹部にはしごを外された参事官……この左遷劇、現在の安倍政権と大手新聞社の癒着振りがよく分かる事件だった。〉

     表だって動いたのは読売ですが、しかしそれ以外の新聞社はこの問題を知りながら、読者に伝える記事を書いていないという。御用新聞と批判される読売だけの問題ではありません。アメとムチを駆使する安倍官邸のメディア支配は多くの新聞・テレビにも及び、それが狂気の謀(はかりごと)を後押ししているのです。

     背筋が凍るような恐怖感。「こんな権力者」に私たちの命を、そして子どもたちの人生を預けるわけにはいかない――古賀茂明氏『日本中枢の狂謀』の、崖っぷちに立つ日本人への必死の問いかけにどう応えるか。(2017/7/28)
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    投稿日:2017年07月28日