オススメ特集

一覧を見る



▼店長おすすめ本

売れてます!
人気急上昇中の話題作を
ピックアップしました。

新刊 1/10~16発売! 106冊

新刊一覧

文芸

文芸の新刊一覧

ミステリー

ミステリーの新刊一覧

歴史・時代

歴史・時代の新刊一覧

エッセイ

エッセイの新刊一覧

ノンフィクション

ノンフィクションの新刊一覧

  • 週別日別

  • 初出は昭和6年「オール読み物」創刊号
    「親分、てえへんだ!」
    「おう、どうした八!」
     このやり取りだけで「あ、銭形平次だ」と思い出す人も多いのでは?
     ドスを振り回す悪党相手に、十手をふるって大立ち回り。やにわに十手を口にくわえ、寛永通宝の投げ銭が敵の額にビシッと決まる。
     大川橋蔵主演のテレビドラマは大人気を博し、888回を数える長寿番組となった。その原作が野村胡堂の「銭形平次捕物控」。(ただしドラマ版と違って、必ずしも毎回投げ銭を使うわけではない)。こちらも昭和6年「オール読物」創刊号に第1話が発表されて以来、27年間に383話という長寿小説だ。
     現在、電子書籍でも青空文庫に140話ほどがあげられているのをはじめ、全集的なもの、傑作集等、異なる編集で数種のコンテンツが配信されていて、簡単に読むことができる。

     小説中の平次親分は、とにかく人情に厚い。どれくらい厚いかというと、情状酌量の余地があるような下手人(犯人)は、片っ端から見逃してしまう。5~6話に1回くらいは見逃しちゃってませんかね親分!それをまた上司にあたる与力の笹野新三郎が「お前の道楽にも困ったものだ」と苦笑いで許しちゃう。
     また平次親分は名探偵ホームズのような推理力と洞察力の持ち主だ。持ち出せるはずのない千両箱が消えた!苔の庭に残された謎の足跡が!連続殺人事件に見えたものが、実はそれぞれ別人の犯行だった!等々、舟木一夫が歌ったドラマの主題歌そのままに「かけてもつれた謎を解く」、難事件を次々と解決していく筋書きは、推理小説としても十分お腹いっぱいにしてくれる。

     本編を読み始めると、今の小説にはほとんど見られない丁寧語文体にちょっと戸惑うけれど、そんなのはすぐ慣れる。セリフの江戸っ子調と文章のですます調が織りなすテンポに、いつの間にかどっぷり。平次と子分の八五郎の掛け合いをちょっと抜き書きしてみよう。
    『「親分、近頃つくづく考えたんだが―」
    ガラッ八の八五郎は柄にもない感慨無量な声を出すのでした。
    「何を考えやがったんだ、つくづくなんて面(つら)じゃねえぜ」
     銭形平次は初夏の日溜りを避けて、好きな植木の若芽をいつくしみながら、いつもの調子で相手になっております。』(第77話冒頭より文字遣い等若干変更して引用)
     このように毎回ノリノリである。ちなみに平次親分の趣味は園芸だ。
     記念すべき小説第1話「金色の処女」は、最近のドラマによくある第1話拡大版を意識したかのようなスケールの大きい異色作だ。
     将軍家光暗殺計画というネタもさることながら、後に平次の妻となるお静は捕まって身体に金箔を貼られ、儀式の生贄にされかけるわ、悪事が露見した犯人たちは建物ごと派手に自爆するわと、これでもかの大サービス!投げ銭までも、この回だけは銭でなく小判を投げている。

     時代劇研究家のペリー荻野さんが、大川橋蔵版、風間杜夫版、北大路欣也版、村上弘明版の各銭形平次について、投げ銭を後から拾っているかどうかを考察していて興味深いが、さて、小説第1話で投げた小判は回収できたのか気になるところ。
     他にも、触ると暖かいお地蔵様の謎を解く「人肌地蔵」、殺されたはずの男が舞い戻って自分の仇を探す「地獄から来た男」、盗賊団の暗号を解き、一網打尽にする「平次屠蘇機嫌」等々、おすすめの話はたくさんあるけれど、キリがないのでこのへんで。

     清濁併せ呑む変化球ヒーローが多い昨今、平次親分のような直球の時代劇ヒーローで読後感すっきり!全話でも手軽に持ち歩ける電子書籍で体験してみてはいかが?
    投稿日:2016年05月27日
  •  2011年の文庫刊行から5年たった昨年夏、突然売れ出した本がある。ちくま文庫の『とりつくしま』、著者は歌人・作家の東直子さんです。日経新聞(1月4日付け朝刊)によれば、昨年8月までの5年間で約1万部だったのが、11月には累計11万部を突破。3か月で10万部増刷は異例ですが、突如売れ始めたのには理由がありました。9月に付け替えた新しいオビが起爆剤となったのだ。
     オビにいったい何が書かれているのでしょうか。
     最初に目につくのは、オビの右半分のスペースを占めるピンクがかった赤い円のなかにある「大好きな人に今すぐ会いたくなる本 NO.1!」のコピー。活字ではなく、ごく普通の手書き文字です。その下に「読後、最初に思い浮かんだ顔があなたの一番大切な人です」とあります。なんだか胸に刺さって気になる殺し文句だ。そして裏表紙側には再び手作り感のある手書き文字で「やさしさに包まれながら号泣していました」と大きくあります。「とりつくしま」というタイトルだけでは本の内容がなかなか読者に伝わらなかったのですが、それを明確に伝えるコピーの入った白地のオビが同じ白色地に妖精が飛ぶカバーデザインにマッチして、派手な色合いが多い平台の中にあってシンプルな色使いでかえって目立っていました。
     わたしも、このオビに引き込まれて本書をその場で購入した一人です。”オビ買い”した本ですが、持ち帰って中を開いたら、もうとまりません。一晩、一気読みでした。

    「とりつくしま」って、なんだろう? 辞書には「取(と)り付(つ)く島」と書き、その意味は「頼りとしてすがるところ。取り付き所。多く、あとに打消しの表現を伴って用いる」とあり、使い方の例として「つっけんどんで―もない」があげられています。以上は、「ジャパンナレッジ」収載の「デジタル大辞泉」(小学館)から引きましたが、補説として〈文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方とされる「取り付く島がない」を使う人が47.8パーセント、本来の言い方ではない「取り付く暇(ひま)がない」を使う人が41.6パーセントという結果が出ている〉とありますから、「とりつくしま」は現代では日常的に使う人がどんどん減ってきている「絶滅危惧語」になっているのかもしれません。その言葉をあえて書名として用いた東直子さんは、その意味するところをこんな風に描きます。〈ざわざわしている。まわりがよく見えない。でも、まわりにたくさん、いる。なにかいる。とても、いる。ざわざわしている。〉という書き出しで始まる巻頭収録の「ロージン」から引用します。

    〈私は、身体のなくなった「自分」を、空気にそよがせて、ざわざわから遠く離れようとした。
     とたん、なにかにつかまった。
     「ちょっと待ってください」
     「とりしまり」の文字が見えた。しまった、とりしまられたの、私。
     まあいいや。もう、こわいものはなにもないはず。
     「私は、なにをとりしまられるんでしょうか」挑むように訊いた。
     「とりしまるって、あなた、これをよく読んでくださいよ」
     白いてのひらが、ひらひらと文字の前で揺れた。文字をよく読むと、こう書いてあった。
     『とりつくしま係』。
     「あら。とりしまり係じゃなかったの。でも、とりつくしま係?」
     「そうです、私はとりつくしま係」
     とりつくしま係は、のっぺりとした白い顔に黒い穴を薄く開きながら、そう答えた。
     「私は、とりつくしまの希望を聞いてあげているのです。あなた、とりつくしまを探しているでしょう?」
     「とりつくしま?」
     「そう、とりつくしま。私は“係”ですから、一目で、とりつくしまを探している人が分かります。あなたは、とりつくものを探している気配をおおいに出しています。あなたが、その気配を出しているうちは、この世にあるなにかのモノにとりつくことができるのです」
     「この世のモノ?」
     「そう、なんでもいいんですよ。思いついたモノを言ってごらんなさい。モノになって、もう一度、この世を体験することができるのです。あなたは、それを望んでいるはずです。ただし、生きているモノはダメですよ。生きているモノには魂の先住民がいますからね。まあ、無理にとは言いませんが」
     とりつくしま係は、話し終えると、穴を閉じた。〉

     治らない病気で40代で人生を終えた母親は〈もし、「とりつくしま」があるなら・・・・・・陽一のそばに、もう少しだけいてやりたい。見守ってあげたい。まだ、十四歳なんだから〉と思って、野球の投手が使うロージンを「とりつくしま」に選びます。ロージンバッグの中の白い粉。消耗品です。中身が半分以上飛び散ったら、「とりつくしま」ではなくなってしまいます。その瞬間、この世から完全に消えてしまうのだ。二度と何かにとりつくことはできない。ほんの少しだけ、そう中学校最後の軟式野球の公式戦を見届けられるくらいに、一緒にいられれば――14歳の一人息子を残して逝った母の想いが胸に響きます。

    「陽一 ロージン 軟式野球 公式戦」の文字が光に透けて見える半透明の契約書にゆっくり息を吹きかけながら、小さくなっていくのを感じていた「私」。気がついたら炎天下の土の上にいた。指が迫ってきた。
    〈あっ、と思った次の瞬間、陽一のてのひらの上にいた。陽一が、もう一つのてのひらを重ねてきた。
     ぽんぽん。
     私は、空気に少し飛び散った。〉

     こうして始まった「私」と息子の夏の一日。リードして迎えた最終回、ツーアウト満塁。打たれたらサヨナラ負けの場面で強打者を迎えて「私」を手にとった息子が、気持ちを集中するように目を閉じて、勢いよく「私」をてのひらに打ちつけた、その瞬間、「私」は思いきり空中にはじけて、夏の一日は突然終わるのです。

    〈夏空の光の向こうに、ゆくね。〉

     ゆっくりと心に染み入ってくるようなラストの一行。著者は文庫版あとがきに〈ほとんどの話を、ラストシーンの一言を思いついてから書きはじめました。最後の言葉は、書く、というより最初に自分の胸に、響いた、のです。〉と綴っています。
     東直子さんがラストシーンの一言を思いついて紡がれた11の物語の、11の「とりつくしま」。「ピッチャーの息子を見守るため、ロージンバッグの中の白い粉になった母」に続く10の「とりつくしま」は以下のとおりです。
    ・夫のお気に入り、トリケラトプスのイラスト入りのマグカップになった妻
    ・いつも遊んでいた大好きな、青いジャングルジムになった男の子
    ・高校生の時に始めて出会って以来、敬愛する書道の先生の白檀の扇子になった女性
    ・ひそかに見ていた図書館司書の名札になった老人
    ・殺したいほど憎いと思ったときもあった。でも、愛してた。だから母の補聴器になった娘
    ・濃い青いインクで妻が綴る日記になった夫
    ・最後の大きな買い物だったマッサージ器になった父親
    ・憧れの先輩とつき合っている先輩女生徒のリップクリームになった少女
    ・孫にねだられた中古のカメラになった祖母
    ・髪の毛を一本、裏庭のびわの樹の下に埋めて欲しいという一人娘

     水彩画のような、透明感の漂うラストの一行で終わる11の美しい物語。一瞬の情景に永遠の想いを詠むのが短歌だとすれば、東直子さんが紡いだ11編の物語もまた、人の永遠の想いを詠んだ”歌”なのだ。
     文庫版が刊行されたのは3.11(東日本大震災)から2か月たった2011年5月。電子書籍版の配信が始まったのが2013年5月10日。昨年9月にオビの新装がなって俄に動きだし、増刷を重ねるロングセラーとなりました。オビ買いした私は一晩で一気読みしたと書きましたが、じつはすごくもったいない読み方をしてしまったとの後悔の気持ちが残りました。年末から正月休みを通して、今度は電子書籍版を――一夜一話、11人の想いに寄り添うようにして、ゆっくり再読しました。そして人知れず家族や近しい人に思いを馳せました。大切な人に再会した死者たちの気持――どんなことを呼びかけたいと願うのかを歌人作家が一人称で描いた短編集。せつなく、いま最も胸に響く11の物語です。(2017/1/13)
    • 参考になった 1
    投稿日:2017年01月13日
  • 冷たいのにやさしい
    なぜ今更と思いながら時々無性に読みたくなるのです。星新一、ショートショート。
    教科書に載っていた「おーい、でてこーい」。日本SF界二大巨塔と言えばまあ小松左京氏と星新一かなとか。エヌ氏と言えば酒造会社のCM。表面的な情報はパッパッと思い出せます。
    作風として、人間の愚かさ浅ましさ、社会の虚しさ、人間や社会というものを、すごくニヒルに突き放して見ているような印象は、しばしば星新一氏の経歴に絡めて語られたりしているようですが。
    星薬科大学の創立者の一族、星製薬の御曹司でありながら、経営が傾いたために後継者として債鬼に追われ、人の裏や嫌な面も散々見たのでしょう、作家として一流になる前は、筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めることになられたとか。
    でも、私は愚かさ浅ましさ虚しさを描いているようで、そんな人間と社会に対する作者のやさしい視線も感じるのです。
    アイデアや発想の秀逸さや結末の意外性もさることながら、見捨てたり、単に私噴をぶつけてるだけの浅い物には感じません。
    SFは荒唐無稽と見られがちですが、例えば100年先の未来、社会の行く末を見通すような本質的なところがあって結構好きです。今は現実がフィクションに追いつくのが速すぎるなあという気もします。
    何より、短編は隙間時間や寝入りばなに読みやすいし、作者の力量がダイレクトに出やすい気がします。自分にとって新しい作家さんの小説を読むときは、時系列とは限らず、短編があれば必ず短編を読んでから長編を読むことにしています。
    • 参考になった 1
    投稿日:2016年10月26日