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あの記憶を忘れない〜終戦の日特集2018〜

終戦から73年、2018年も戒めとするべき日が近づいています。eBookJapanでは「あの記憶を忘れない〜終戦の日特集2018」として、「ぼくらがみた戦争〜漫画家が伝える引揚体験」(2017年8月5日、於:平和祈念展示資料館)と題されたトークイベントの模様をお伝えします。

2017年8月5日、平和祈念展示資料館で「ぼくらがみた戦争〜漫画家が伝える引揚体験」と題された漫画家の森田拳次氏とちばてつや氏による対談イベントが行われました。
森田氏とちば氏は4〜6歳を満州(現在の中国東北部)にある奉天(現在の瀋陽)で過ごしていました。しかし、終戦を向かえるとその生活は一変してしまいます。2人の周りでも様々な混乱が起き、ついには奉天を後にし、遥かなる道のりをたどって日本に帰らざるをえなくなりなります。大きな苦労をともなう引き揚げでどのような体験をされたのか明かしていただきました。

漫画家による引揚げ展

――今日、お招きしたちばてつやさん、そして森田拳次さんは幼いころに、満州の奉天、(現在のある瀋陽)という町で暮らされて、終戦後、数々の苦難をのりこえて日本に戻ってこられたお二方です。今日は幼いころの記憶に入っている戦争と引揚げについて、じっくりとうかがってまいりたいと思います。終戦後、引揚げてこられた方々のなかには、その後、日本で漫画家になられた方がずいぶんたくさんいらっしゃるなと改めて驚きました。

「ぼくらがみた戦争〜漫画家が伝える引揚体験」対談 ちばてつや氏、森田拳次氏

ちばてつや森田拳次さん、それから赤塚不二夫さん。『釣りバカ日誌』の北見けんいちさん、『フイチンさん』の上田トシ子さん。あと、古谷三敏さん。高井研一郎さんですね。

森田拳次みんなね、ダメ(ダメおやじ)とかバカとかつく漫画を描いているんだよね。

――みなさん、満州で過ごされて、日本に帰ってこられてから漫画家になった方々なわけですね。

ちばてつやそれだけたくさんの日本人が渡ってたってことですよ。映画監督や絵描きさん、小説家も、たくさんいたんですよ。

――はい。お互いが引揚げ者であることを知ったのは、不意な発言からだったようですね。

ちばてつやそうですね。日本と中国が国交回復したときですね。出版社で、漫画家たちの集まりがあったんです。みんなが新聞見ながら、「あ、国交が回復した」なんて言ってる時に、「あ、中国へ行けるんだ、懐かしいな」って話をしたんですよ。そうしたら「なんで懐かしいの?」って聞かれますよね。

――ああ、なりますね。

ちばてつやどうしようかなっていう感じで、声をひそめて「俺、引揚者なんだよ」って言ったの。そしたら「え、俺もそうだよ」って、何人か笑って名乗り出てきたんです。その中に赤塚さんとか森田さん、北見さんがいて、みんな引揚者だったのかってわかったことがありましたね。
それまでも凄く仲のいい友達だったんですけど、さらに縁みたいなのを感じましたね。

――森田さん、その、「引揚げ者」であったことは何か後ろめたく、言いづらい事だったのですか。

森田拳次そうですね。子供の頃はやっぱりなんとなく引揚げてきたっていうことに、コンプレックスを感じていましたね。大体みんな持ち家じゃなくて、引揚連中の宿舎のような倉庫とか、そういうとこに住んでいた人が多かった。やっぱりなんとなく後ろめたいのもありましたね。

ちばてつやさんの体験

――それではお二人のお話を、ちょっとストーリー的に追っていきたいと思います。まずはちばてつやさんのお話からじっくり聞かせていただきたいと思います。漫画家になられた背景には奉天での暮らしが大きく影響しているなと感じますが、これは何を描いたものですか。

ちばてつやこれは奉天の街なんですが、冬景色ですね。そんなに雪は積もらないんですけど物凄く寒くて、零下20度ぐらいになる。
私が住んでいたのは、父親の仕事が印刷会社だったんですね。資本は日本の印刷会社だったんですけど、3メートルぐらいのレンガの塀でずっと囲まれていて、その中に工場から社宅から売店から、それから銭湯みたいな大きなお風呂まで全部あったんです。

――何か町の様ですね。

ちばてつやそうです。外へ出なくても暮らせるから、外へ出ちゃダメって言われていました。外へ出ると、私どこへ行くか分からない放浪癖があったんで、それで親が心配して表に出ないように言われていたんですけど、塀の外で何か歓声が聞こえたりすると出ていきたくなるでしょ。寒いところだから工場の四隅に石炭がいっぱい積んであって、そこをよじ登っていくと降りられるんですね。

――このときは日本人の子どもは、中国の方からどういうふうに見られていたのですか?

ちばてつや日本人の子どもだからといって、何か差別されたりすることは無かったです。

これは昭和20年8月15日の記憶です。工場なんですけど、日本人だけが正午に署長さんの家に集合するようにと言われたんです。大人たちも、何で日本人だけなんだっていうことで、不審そうな顔をして。
 この絵は玉音放送を聞いた後ですね。バタンと戸が開いて、大人たちが泣きながら出てきたり、ざわざわしているところなんです。私は子どもで、近所の同じ社宅に住む子供たちと木の下で遊んでいたんです。物凄い暑い日でしたね。

 

――泣いている大人に対して何かが起こったことを感じているという感じですよね。

ちばてつやそうですね。その時は何事だか分からなかった。その日から塀の外が物凄く騒がしく鳴りだしたんです。バアンって爆竹がなったり、大きな笑い声が聞こえたり。外で何をしているのだろうなと思っていました。夕方になると、ワアって歓声と同時に梯子をかけて、3メートルの塀を人が乗り越えてきたんです。
私は外でぼおっと遊んでいたのですが、見ると市場でトウモロコシやなんかを売っていたおじさんがいたので、私は「あ、おじさん」と駆け寄ろうとしたんです。それをみた母親がばっと私を捕まえて「何してんの、こんなところに、バカ」と、家にバンッと放り込まれたんです。家の中では弟たちが3人がワァワァ泣いているわけですよ。

――塀を乗り越えてきたのは中国の方ですよね。

ちばてつやそうです。中国や朝鮮の人たちです。日本人に対して、自分たちが非常に虐げられてきた、ということに腹が立っていたんでしょうね。
もう日本が負けたってことが分かったんでしょうね。分かったと同時にみんなが大喜びして「ようし、日本人は今まで好き勝手なことしやがって」ということで、塀を乗り越えて、日本人の家から布団や家財道具をどんどん持ち出すようなことが何日間か続きました。
何回も暴動が起きて社宅が襲われ、ここにはいられないということで、ありったけの荷物と食料を持ってね。だけど、日本へ帰る術がなかったんです。

――情報はなにもないのですか。

ちばてつやどうしようもないので、印刷会社の人たちがみんなで集まって、何度か相談して、逃げようとしたんです。9月の頭だったと思います。私の父親もシベリア送りのために連行されていたのですが、あんまり体が弱いので戻されたんです。それで、家族がそろって一緒に逃げることができました。

――印刷所の方々がみんなで一緒に日本を目指して。

ちばてつやそう。一家族だけだと袋叩きにあって、それこそリュックから何からみんな持ってかれるし、下手すると子供までさらわれてしまう。みんなで団体行動するほかなかった。しかも昼間は危ないから夜中しか移動できないんです。
何日か目の晩だったと思いますけど、出発前に良い靴を履かされたのですが、その靴がちょっと不良品だったんです。右足のかかとのところに釘が出ていて。それでちょっと足を痛めていたんですが、痛いって言えないんですよ。「足が痛いから待って」とかは言えないんですね。

――ピリピリした空気を感じていたんですね。

ちばてつや私6歳だったのですが、分かりましたね。もう、そんなわがままは言ってはいられない。だけど、(足が)痛いからどんどん遅れてしまう。あまりにも足が遅いので誰かが気付いてくれたんです。「足引きずってんの、どうしたの?」って。

――そして列からはぐれてしまわれる。出会ったのは誰だったのですしょうか?

ちばてつや中国の人が来たので隠れたのですが、彼は印刷会社の父親の同僚だったんです。

――凄い偶然ですよね。

ちばてつや本当に。怖かったんで隠れてたんですけど、中国の人が立ち止まって戻ってきたんですよね。「チバさんじゃないの?」って。「こんなとこにいたら危ないよ」ってね。そして彼が住んでいる家の物置の屋根裏に、しばらく匿ってもらいました。

――通報されたり、暴力をふるわれる可能性もあった?

ちばてつやそこに日本人がいる、ということが分かれば襲われたでしょうね。だから徐さんも命がけで匿ってくれたんだと思います。けれどとても狭い屋根裏なんで、本当に退屈で退屈で、弟たちが外へ出たがって泣くんですよね。

――そうでしょうね。

ちばてつや最初はこっそり隠して持っていたイソップ物語やアンデルセンなど童話誌を読んで聞かせたんですけど、すぐ「その話知ってる」ってなって。しょうがないから、いろいろ考えてオリジナルのストーリーを絵で描いてみせていました。そうすると弟たちもとってもおとなしくして、静かにしているんです。

――それが先生の漫画家の第一歩だったのかもしれないですね。

ちばてつやそうですね。絵は描くのは好きだったのですが、漫画は知らなかった。本当は漫画を描いてやれば一番よかったんですけどね。

――その後はどうやって葫蘆島に向かわれたんですか?

ちばてつや親父は中国人に化けて、野菜とか魚とか食料品を市場で仕入れては、あっちこっちに隠れている日本人に売っていたんです。
その徐集川さんと食料品を売って歩いているうちに、はぐれていた印刷会社の団体と巡り会えたんです。その人たちと合流して、しばらく一緒に進むことになります。その後に、どうも葫芦島へ行けば引揚船が出るらしいと情報が入ってきて。
葫芦島は島の名前ではなくて港の名前なんですね。今は軍港になっています。葫蘆島までたどり着けば日本に送り帰してくれるということで、ぞろぞろと動き出しました。

――これが引揚船ですよね。どんなふうに見えましたか?

ちばてつや私はそれまで、こんな大きな船を見たことがなかったので。しかも鉄ですからね。これは浮くのかなあって、最初は思いました。しかも人がいっぱい乗ってるでしょ。

――すぐに乗ることはできたんですか?

ちばてつやなかなか難しかったんですけど、病気をした人や体の弱い人、それから子供は優先的に乗せてもらえたみたいで、1週間も待たなかったと思います。(船に乗るまで)しばらくは、プレハブみたいな、小屋みたいなところに寝泊りしていました。
葫芦島は渤海湾の中にあるのですが、渤海湾を抜けて、日本海へ出て水平線の向こうに博多港が見えてきたんです。日本人の引揚者たちは、それはもうみんな喜んで「内地が見えたぞ」ってね。

みんながワアって甲板に出て、「日本へ帰れた」って喜びました。船が傾くんじゃないかと思うぐらい、日本の方角へ寄ったという記憶があります。

――子ども心に印象に残っていることはありますか?

ちばてつや船に乗ったとたんに、キョウちゃんっていう、一緒に遊んで、一緒に旅をしてきた子が死んじゃったんですよ。だから非常に複雑な心境だったんですが、(日本に)辿り着けたときは本当に「よかったね」という感じでした。
日本っていうのはとってもきれいに感じましたね。もう夏でしたから緑の島の間を縫って帰るんですけど、その島がみんなきれいでね、緑色で。

――中国には緑はなかった?

ちばてつや中国は広いコーリャン畑とか土は多いのですが、緑はとても少ないというか。戦地ですから、いろんなことで荒れていたんでしょうけど、非常に色が無かったの。日本へ帰ってきたら博多港が緑色で、こんなに綺麗な所なんだって喜びましたけど、列車に乗って移動したとたんに、いろんな町が真っ白になっちゃった。要するにまた色が無くなったんです。いろんなところが空襲や爆撃を受けた、黒と白の世界で。あちこちにビルが焼け残っていたのですが、それが墓石みたいに見えました。

――そして、大人たちが喜んでいる裏で、お友達が亡くなられたんですね。

ちばてつやそうですね。夏でしたから、もう亡くなるとすぐ分かるんです。蝿がたかりだすので。腐り始めて、すぐシーツみたいなものにくるんで、3体か5体ぐらい遺体が集まると船を止めて、船尾から滑らせるようにして海へ落とすんです。
儀式なんですが、遺体を海へ流した後、ぐるっと遺体の周りを3回まわってボオーって汽笛を鳴らして、それでお別れをして、また博多へ向かうんですけど、それを何度か(船を止めて)やりましたね。

――そういう別れもたくさん経験しながら、これは、おばあ様のお家でしょうか。

ちばてつやこれは千葉県にある私の祖母の家ですが、電話もしていなかったので、もうびっくりしてしまいまして。最初は警戒して起きてこないんですよ。
 返事が無いから近くの、他の親戚の家に行こうかって行きかけたときに「誰だ?」なんて小さな声が聞こえて、親父が「俺だよ、マサヤだよ」って言ったの。おばあちゃんが血相変えて飛び出して来たんgだよね。父は、一番末っ子でしたが、四人子どもを連れて、本当にぼろぼろの格好で立っていたので「あんのこったあや」って言いました。
「どういうことなの」っていう意味の方言なんです。家の中に入れてくれて。
記憶に一番あるのは、スイカをその場で切ってくれたんです。生まれて初めて食べた、スイカ。甘かったですね。スイカ食べながら、半分もう寝てましたけど。ここはとても安全な場所なんだなっていうことが分かりました。

――ああ、子ども心にもわかったんですね。

ちばてつや引揚げてくる1年間もそうでしたし、船に乗っている間も、列車で千葉県に着くまでもずっと警戒していたといいますか……。さっき、森田さんもおっしゃってましたけど、やっぱり引揚者っていうのは、ちょっと後ろめたい気持ちというか「向こうに住んでいたのに、戦争に負けたからって帰ってきやがって」というような雰囲気があったんです。
どうしてかというと、食べ物が無いわけですね、日本国中。みんなが「明日の食べ物どうしようか」って困っているところへ、ぞろぞろ船に乗って着くわけでしょ。だから「お前たち帰って来なけりゃいいのに」というような雰囲気が、どこかにあったんですよね。

©一般財団法人日本漫画事務局八月十五日の会

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