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【合本版】終わらざる夏 全3巻

【第64回毎日出版文化賞受賞作】1945年、夏。すでに沖縄は陥落し、本土決戦用の大規模な動員計画に、国民は疲弊していた。東京の出版社に勤める翻訳書編集者・片岡直哉は、45歳の兵役年限直前に赤紙を受け取る。何も分からぬまま、同じく召集された医師の菊池、歴戦の軍曹・鬼熊と、片岡は北の地へと向かった――。美しい北の孤島で、再び始まった「戦争」の真実とは。終戦直後の“知られざる戦い”を舞台に「戦争」の理不尽を描く戦争文学の新たなる金字塔。巻末に「浅田次郎刊行記念記念インタビュー」を特別収録。※本電子書籍は集英社文庫「終わらざる夏 上」「終わらざる夏 中」「終わらざる夏 下」の合本版です。

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 浅田次郎の長編『終わらざる夏』(集英社、上・中・下、本稿は合本版によります)は、終戦まであと一か月あまりとなった昭和20年(1945年)7月に始まる物語です。戦争が人々の暮らし――昨日に続いて今日があり、そして今日と同じ明日がやってくるという平和な暮らしを突然に、いやも応もなく断ち切って、まったくちがう人生を強制してくる、理不尽なものであることを綴った戦争文学の傑作です。
 浅田次郎は、赤裸々な性描写の故に、アメリカでさえ風俗壊乱罪に問われたというヘンリー・ミラー著『セクサス』の翻訳を夢見ながらも戦争によって人生を狂わされ、翻弄されていく翻訳書編集者の物語をこう書き始めます。少し長くなりますが、序章から引用します。

〈「奥さんからです」
 受話器を差し向けた尾形の顔色は濁っていた。
 家族から会社にかかる電話は凶報と決まっている。部下たちが応召の第一報に接したのも、兄弟や知人の戦死を知るのも、家族からの電話だった。
 受話器を受け取るほんの一瞬の間に、疎開先の息子と、郷里の老母と、出征中の甥(おい)の顔がよぎった。
「もしもし、どうした」
 不穏な沈黙のあとで、久子は気を取り直すように毅然(きぜん)と答えた。
「何かのまちがいだとは思うんだけど、来たわよ」
「来たって、何が」
 問い質(ただ)すまでもなく、何が来たのかはわかっていた。だが、頭ではなく体が訊(き)き返したのだった。
「赤紙です。おにいさんからの電報だけど、読みますか」
「ああ、読んでくれ」
 不安げに窺(うかが)う尾形と目が合った。「ア・カ・ガ・ミ」と声に出さずに唇を動かして自分の胸を指さすと、尾形は息を詰めて立ちすくんでしまった。
「いいですか。赤紙キタ、スグ送ル、七月十日十三時、弘前着」
 久子の読み上げた電文を手元の紙に書き写した。
 とりあえず赤紙の来着を報せる、兄からの電報である。すぐに速達で回送するが、入営日時と場所は承知しておけ、という意味にちがいなかった。
「ねえ、直ちゃん。何かのまちがいよね、そうよね」
 即答ができずに、片岡は回転椅子をめぐらして窓に目を向けた。まちがいかどうかというより、悪い夢を見ているような気がしてならなかった。夏空は雲ひとつなく晴れ上がっており、遥(はる)かな高みを敵か味方かもわからぬ銀色の翼が、ゆっくりと滑っていた。
「兵役年限は一ヵ月残っているよ」
「だったら、やっぱりまちがいよね」
「さて、どうだろう。四十五歳と十一ヵ月なんだから、召集されてもふしぎじゃないが」
「ふしぎよ。いくら何だって、こんなことあるはずないでしょうに」
「ここで僕らがどうこう言い合っても始まらんね。ともかく承知した。社長に報告をしてから帰るよ」〉

 昭和20年(1945年)7月。前月6月23日に沖縄が陥落し、東京も大空襲が続き、本土決戦が叫ばれていました。奇跡的に焼け残っていた神保町。出版社「千秋社出版」に勤務する片岡直哉は、東京外国語学校卒の翻訳書編集者。岩手県の寒村出身で、女子高等師範卒の妻、久子と飯田橋近くの同潤会「江戸川アパートメント」で暮らしています。
 喫茶店にジャズが流れていた幸福な時代に「新時代中産階級の砦」「パリやニューヨークにもそうは有るまいと思われる世界水準の仕様」「世界に冠たる我が文化のシムボル」と謳われた江戸川アパートメントでしたが、中庭から鉄製の遊具が持ち去られ、かわりに一面の野菜畑ができ上がった。各戸に備えられた暖房用のラジエーターも供出させられました。軍からは地下室のボイラーも出せと要求されましたが、そればかりはのちのち困るからと住民が頑張って何とか免れました。もっともラジエーターがなく、燃料もないのですから、無用の長物でした。
 桃紫色の外観は褐色の防空色に塗られて、屋上には偽装の藁(わら)が敷き詰められ、すっかり様変わりしたアパートメントから、片岡直哉はかつての麻の背広を国民服に替え戦闘帽を冠(かむ)り、ゲートルを巻いて出勤していました。その日常さえも一枚の赤紙によって瞬時に終わらされてしまった――。
 引用した夫婦の会話にあるように、片岡は1か月後に46歳の兵役年限となります。しかも極度の近視で、徴兵検査では丙種合格。そのため、未入営で軍隊経験は一切なく、軍服に袖を通したことさえありません。
 その老頭児(ロートル)まで召集していったい何をさせるというのか。片岡はあわただしく仕事の引き継ぎを終えて入営地の弘前に向かいます。同郷の医師・菊地忠彦も一緒です。菊地忠彦は、岩手医専卒の若手医師で、東京帝大医学部に在籍していましたが、やはり異例の召集をうけていました。
 二人が乗った青森に向かう東北本線の三等客車は奇妙な安息に満たされていた、として浅田次郎は次のように描いています。

〈通路にもデッキにも、便所の中にまでも疲れ果てた人々が座りこんでいる。そのあらかたは召集地に向かう男たちと、疎開する母子や老人だった。
 この一齣(こま)だけがなぜ古写真のように平安なのだろうと、片岡直哉は考えた。
 東京が焼け野原になってからは、かつてのように軍歌と手旗で出征兵士を送る光景もとんと見られなくなった。そのかわり、根こそぎ動員で引っ張られる兵隊はみな後顧に憂いを残す一家の主(あるじ)だから、入営までのわずかな時間にやっておかねばならぬことは山ほどある。すべてを片付けられるはずはないが、とにもかくにも時間切れで列車に飛び乗ってしまえば、あとは運命に身を委(ゆだ)ねるほかはない。つまり兵士たちは数日間にわたる個々の戦をおえ、本物の戦に向かうのである。すでにやれるだけのことはやり、この先は何をやろうにもどうしようもないという老兵たちの溜息が、車内の空気の半分を染めている。〉

 盛岡で対(むか)いの席に乗りこんできた軍曹の右手には三本の指が欠けていた。盛岡のタクシー運転手で、金鵄勲章を授与された歴戦の富永熊男軍曹。郷里では「鬼熊」の名で通っています。
 怪訝そうな面持ちで見つめる富永軍曹に対し、応召して二等兵となる片岡が言葉を選びながら、「恥ずかしながら、この齢で初めての応召です」と告げ、次のように続けます。
〈「お国のために一働きしたいのは山々でありますが、四十五の老兵に何ができるとは思えんのです。いかが思われますか」
 やめておけ、とでも言うふうに菊池の肘が片岡を押した。軍曹は庇っていた右手を膝の上に拡(ひろ)げて、しばらく見つめていた。
「そったなごど訊かれてもわがらねな。んだども、まぢがいではねぇんだべ。帝大さおでぁった先生が軍医になって、こんたなもみじのよんた手の、銃の引鉄も引げね兵隊まで召集されるんだがら、おめはんさ赤紙が来てもふしぎはねえ」〉

 青森に着いた三人の前に老将校が立った。
〈「弘前師管区の佐藤中尉である。口頭にて命令を下達する。いやあ、妙たなことだが、三人一緒で手間が省けた」(中略)
「三名は後方車両に移乗せよ。到着地は根室。到着日時は明日十三時。到着後は北部軍第一七八部の指揮下に入れ」(中略)
 不明の未来が大口を開けた。いったい闇の先に何が待ち受けているのだろう。
「富永軍曹ほか二名、根室に向かい、北部軍の指揮下に入ります」
 よし、と老中尉は答礼をし、まるでかかわりを避けるようにそそくさと立ち去ってしまった。
 車内の空気は緩んだ。笑い話ばかりをしていた剽軽な応召兵が、慰めとも励ましともつかぬ声をかけた。
「さすが鬼熊軍曹殿は強運でござんすなっす。おらだぢは弘前からどごさ連れでがれるがもわがらねが、北海道なら万々歳じゃ」
 鬼熊は鼻で嗤った。
「つまんねごど言うな。その強運の三人をよぐ見でみろ。こんたな兵隊まで引っ張るようだば、もうハこの戦は終えだじゃ」
 吐き棄てるような軍曹の一言で、車内はしんと静まってしまった。
「戦地だろうが内地だろうが、不運だろうが強運だろうが、わしらは東京のぬげさぐどものせいで、ひとり残らず名誉の戦死だべじゃ」〉

「東京のぬげさぐども」とは、いうまでもなく東京市ヶ谷の大本営で動員計画を立案している参謀たちをさしているわけですが、参謀たちが立てた動員計画の目的地は根室ではありませんでした。北千島の占守島(シュムシュとう)です。根室半島から海上わずか30キロの距離にある国後から遥か北東のソ連領カムチャッカ半島まで、千島列島の島々が一直線の敷石のように並んでいます。総延長1200キロに及ぶ、その先端、カムチャッカ半島とは目と鼻の先といった位置にあるのが占守島。いわば、ソ連と対峙している国境の島ですが、そこに関東軍から抜いた現役バリバリの戦車部隊が無傷で残っていました。その島に三人――片岡二等兵、菊地軍医将校、鬼熊軍曹を送りこんだ大本営のほんとうの狙いはどこにあったのか。天皇周辺の本土決戦回避を感じ取った参謀本部は徹底的な秘匿のもとにアメリカ軍との終戦工作のための通訳要員を最前線に送りこむことに力を注ぎました。片岡はまさにそのための特業兵として召集されたのです。
 しかし、占守島でおきたことは、その予測とはまったく違う事態でした。8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し、そのことを全国民に告げる天皇の肉声が放送されました。北の島では玉音放送は聞くことができませんでしたが、英語放送で日本の無条件降伏は知りました。片岡二等兵がその英語力で聴き取ったのです。
 戦争は終わったはずでした。しかし――3日後の未明、片岡たちのいる占守島にソ連軍が上陸を開始しました。片岡は、参謀とともに前線に向かいます。占守島の、そして兵隊、その妻や子ども、親など島に関わった多くの人びとの「終わらざる夏」が始まりました。
 浅田次郎は、応召前夜の片岡の思いとして、「戦争」について次のように綴っています。
〈片岡が憎んでいるのは戦争そのものではなかった。非常時の名の許(もと)に、あらゆる自由が奪われてゆくことを、心から憎悪していた。経緯を考えれば戦争もやむなしと思う。だが、ここまで国民の自由を簒奪(さんだつ)してまで続く戦を片岡は憎んだ。〉

 戦後70年を迎えた日本を大きく変えようとしている「安保法案」。戦争とはなにか。戦争は国民になにをもたらすのか。本書『終わらざる夏』は安倍晋三内閣の暗部に光りをあて、その危うさを照らし出しています。(2015/8/7)
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匿名希望

(5.0)

投稿日:2015年08月19日

戦争は市民から何を奪うのか

 70年前の8月15日、集団疎開の子どもたちに語りかけた国民学校(小学校)の女性教師の言葉がなににもまして心に残っています。
「・・・先生は、天皇陛下が何とおっしゃろうと、みなさんに堪えがたきを堪えと は言いません。忍びがたきをまだこれからも忍べなんて、言うものですか。もう、がまんできないできないことはがまんしなくていい。いやならいやとおっしゃいなさい。自由に物を考え、自由にしゃべり、自由に行動して、ただその自由な言動については、おのおのが責任を持って下さい。そして、しっかり勉強をして、この戦争で亡くなられた方々を、けっして犬死にとしないような、平和で豊かな日本を作り直してください。いいですね、わかりましたね」
 ポツダム宣言受諾を告げる玉音放送の3日後に千島列島の孤島で始まったソ連との戦いを描いた『終わらざる夏』について、著者の浅田次郎さんは新聞のインタビューで「戦争という〈犯罪〉を書いた」と語っていましたが、この女性教師の子どもたちへの言葉はそのことを最もよく示していているように思いました。「戦争」が市民からなにを奪っていくのか。 浅田次郎さんの「戦争」、そしてそれを市民に強いる「国家」に対する静かな、しかし強い怒りが、読む者の胸に迫ってきます。感動の戦争文学。泣けました。
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