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「空気」の研究

昭和期以前の人びとには「その場の空気に左右される」ことを「恥」と考える一面があった。しかし、現代の日本では“空気”はある種の“絶対権威”のように驚くべき力をふるっている。あらゆる論理や主張を超えて、人びとを拘束するこの怪物の正体を解明し、日本人に独得の伝統的発想、心的秩序、体制を探った名著。1983年刊行の超ロングセラー!

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 KY――「空気(K)が読めない(Y)」を意味する略語として2006年頃に女子高校生の間で使われ始めた言葉ですが、2007年夏の参院選挙で大敗したにもかかわらず、すぐには退陣しなかった当時の安倍内閣が「KY内閣」と揶揄されたところから一気に拡がりました。とくに若い世代では、「その場の空気を読めない奴」というような、マイナスイメージを軽く言う時によく使われていますが、日本社会の物事を決めていくやり方について、「空気」という観点からその問題点を明らかにした故・山本七平氏(評論家)なら「KY」という略語の出現をどう論じたでしょうか。そんな思いで、電子化されたのを機会に山本七平著『「空気」の研究』を再読しました。本書が単行本として発刊されたのは1977年(昭和52年)、いまから36年前、昭和末期のことです。しかし、そこで論じられている「日本人と空気」の問題はけっして色褪せることなく、私たちが生きる2013年の状況を予見していたのではないかと思えるほど、日本と日本人を的確に分析していています。山本七平氏は、なぜ「空気」という問題に取り組んだのか。〈以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの〝絶対の権威〟の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では……」「議場のあのときの空気からいって……」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても……」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々々、至る所で人びとは、何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている〉山本氏は、「空気」によって決定された結果、悲劇的な結果を招いてしまった典型例として、第二次世界大戦末期に沖縄に向けて出撃して、鹿児島沖で撃沈された戦艦大和を取り上げて、こう書いています。〈このこと(引用者注:空気が決定したこと)を明確に表わしているのが、三上参謀と伊藤長官の会話であろう。伊藤長官はその「空気」を知らないから、当然にこの作戦は納得できない。第一、説明している三上参謀自身が「いかなる状況にあろうとも、裸の艦隊を敵機動部隊が跳梁する外海に突入させるということは、作戦として形を為さない。それは明白な事実である」と思っているから、その人間の説明を、伊藤長官が納得するはずはない。ともにベテラン、論理の詐術などでごまかしうるはずはない。だが、「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」といわれれば、ベテランであるだけ余計に、この一言の意味するところがわかり、それがもう議論の対象にならぬ空気の決定だとわかる。そこで彼は反論も不審の究明もやめ「それならば何をかいわんや。よく了解した」と答えた。この「了解」の意味は、もちろん、相手の説明が論理的に納得できたの意味ではない。それが不可能のことは、サイパンで論証ずみのはずである。従って彼は、「空気の決定であることを、了解した」のであり、そうならば、もう何を言っても無駄、従って「それならば何をかいわんや」とならざるを得ない。ではこれに対する最高責任者、連合艦隊司令長官の戦後の言葉はどうか。「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない」であって、いかなるデータに基づいてこの決断を下したかは明らかにしていない。それは当然であろう、彼が「ああせざるを得なかった」ようにしたのは「空気」であったから──〉「抗空気罪」があって、これに反するともっとも軽くて「村八分」刑に処せられるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。「空気」とはまことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の「超能力」かもしれない。専門家ぞろいの海軍の首脳に「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない・・・・・・山本氏は、こう指摘したうえで、次のように断じています。〈こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが「空気」に決定されることになるかも知れぬ。とすると、われわれはまず、何よりも先に、この「空気」なるものの正体を把握しておかないと、将来なにが起るやら、皆目見当がつかないことになる。 では一体、戦後、この空気の威力は衰えたのであろうか、盛んになったのであろうか。「戦前・戦後の空気の比較」などは、もちろん不可能だから何とも言えないが、相変らず猛威を振っているように思われる。もっとも、戦後らしく「ムード」と呼ばれることもあり、昔なら「議場の空気」といったところを「当時の議場の全般のムードから言って……」などという言い方もしている〉著者の山本七平氏は「その場の空気」が何よりも力をもつようになったのは明治以降で、西南戦争――西郷隆盛が明治政府を相手に起こした、近代日本が行った最初の近代的戦争――が「空気支配」が始まるきっかけだったとしています。そのときから対中戦争、対米戦争を経てなお、「空気」は日本を動かす妖怪でありつづけています。
会社の会議室であることを決めて散会した後、三々五々メンバーが飲み屋などに場所を移しての“会議”になることがありませんか。口々に出てくるのは、「あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの決定はちょっとネ-・・・・・・」といった本音の言葉です。「会議室の空気」から「飲み屋の空気」に変わったとたん、文字通りのフリトーキングが始まるというわけです。そこで出る結論はまた別のものになるのですが、会議室の決定がくつがえることはありません・・・・・・これが、私たちの「日常」ではないでしょうか。『「空気」の研究』のご一読をオススメします。(2013/9/20)
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