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茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯

スマートとはいえない風貌に「鈍牛」「アーウー」と渾名された訥弁。だが遺した言葉は「環太平洋連帯」「文化の時代」「地域の自主性」等、21世紀の日本を見通していた。青年期から、大蔵官僚として戦後日本の復興に尽くした壮年期、総理大臣の座につくも権力闘争の波に翻弄され壮絶な最期を遂げるまでを描いた長篇小説。

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書籍の詳細
  • 書籍名: 茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯
  • 著者名: 著:辻井喬
  • eBookJapan発売日: 2013年06月14日
  • 出版社: 文藝春秋
  • 連載誌・レーベル: 文藝春秋の本
  • 電子書籍のタイプ: リフロー型
  • ファイルサイズ: 899.3KB
  • 関連ジャンル: 小説・文芸文藝春秋の本
  • 対応デバイス: WindowsMaciPhoneiPadAndroidブラウザ楽読み

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安倍内閣の支持率が急落しています。いうまでもなく、強行採決を重ねて特定秘密保護法を強引に成立させるという政治手法に対して、多くの市民が不安感を抱きはじめたことがその背景にありますが、それにしても政治家が発する「言葉」のあまりの軽さはどうしたものでしょうか。安倍首相は、強行採決のあとで記者団を前に「私自身がもっとていねいに時間をとって説明すべきだったかと反省している」と語ったそうですが、「行為」と「言葉」がまるで水と油ほどの違いがあるようです。「政治家の言葉」を考えるとき、思い浮かんだ本があります。辻井喬(堤清二)の『茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯』――タイトルにあるとおり、第68代・69代内閣総理大臣(在任期間1978年12月~1980年6月)大平正芳の生涯を描いた評伝です。香川県の農家に生まれた少年時代、苦学して高松高商、東京商科大学(現在の一橋大学)に進み、卒業して大蔵省の官僚となり、さらに政治家の道に進んだ大平正芳の軌跡に辻井喬は独自の視点で光をあて、その思念を私たちにわかりやすく伝えようと試みています。前週の『叙情と闘争 - 辻井喬+堤清二回顧録』に続いて、今回も辻井喬の著作を紹介します。哲人政治家・大平正芳は生涯をとおして学び、思考を続けた人でしたが、その基礎が形成された青春時代を中心に見ていきます。高松高商に進学した大平正芳が初めて「世界」を経験したときのことが冒頭の章にでてきます。少し長くなりますが、引用します。〈・・・・・・彼の横を、ぶつかりそうになって小さな裸足の子が馳け抜けていった。少しからだの大きなシャツ一枚の男の子が罵声(ばせい)を浴(あび)せながら追ってきて、正芳の見ている前で追いつき、押し倒して撲りだした。子供の喧嘩にしては殺気立っている。「おい、よせ、腕ずくはいかん」と正芳が注意している間にも、大きい子供は紙袋を奪い取ったのでは足りず、馬乗りになって相手の首を締めはじめた。小さい子の顔から血の気が引いて、白目ばかりになった。正芳は後から大きい子の首筋のシャツを掴んで二人を引離した。驚いたことにその子は憎しみを顔いっぱいに浮べ、「邪魔すんじゃねえ。紳士面しやがって、泥棒はお前らだろ」と振返って大人のような言葉を投げ、パッと唾を地面に吐くと逃げていった。正芳は「泥棒はお前らだろ」という言葉が自分に向けられたのだと覚るまでに少し時間がかかった。(中略)仲間外れになるのはいい。我慢もできる。しかし「紳士面」「泥棒はお前らだろ」というのはどういうことだ。高松高商の制服がそうした反感を呼び起したのだとすれば許せない誤解だ。僕だって叔母の家に寄寓させてもらい学資も補助してもらって辛うじて高松高商に通っているのだ。その点ではむしろ貧しい方に入るのかもしれない。その僕が敵視されるというのは、どう考えても理不尽だ……正芳はすっかり考え込んでしまった。(中略)自分が差別をする側の人間に見られたという初めての経験を反芻していた。今まで、どちらかといえば貧しさ故に侮られまいとする気持が強かったのだが、高松高商の制服を着るようになってから、和田村の小学校や観音寺の中学に通っていた頃には想像もしなかった広い世界があり、そのなかには自分よりもずっと惨めで辛い思いをしながら暮らしている人間がいるのだと考えられるようになっていた。それが今日の経験で一度にひとつの具体的な形となって正芳の視野に入ってきたのだ〉5歳になった春に父が急死。進学をあきらめていた大平正芳が高松高商に進学できたのは、父の妹で高松市の近くに住むヨシ叔母の援助があったからで、むしろ貧しい環境にあって苦学していると考えていたのですから、自らに向けられた「泥棒はお前らだろう」という言葉は衝撃的でした。辻井喬は、そんな正芳について「正芳の目はキレは長いが細く、顔は鈍重な感じを与える骨格だったから、細かく気を働かせる性格はその後ろに隠されていた。頭の回転とは逆に決断は遅い方だったが、一度決心をすると最後まで押し通す行動力も備えていた」と記しています。富めるものと貧しきものがともに生きる世界に目を向けた18歳の正芳はひとりの思想家に出会います。〈佐藤定吉は十八歳の正芳がはじめて出会った思想家であった。昭和三年のその頃、大正時代の自由な空気は後退し、その年二月のはじめての成年男子普通選挙では、労農党候補として香川県から立った大山郁夫の選挙運動は官憲の徹底した弾圧に苦しんだ。他国から一等国と見られるように形は整えるが、民衆の自由は押えるという明治維新以来の手法が、年を経るごとに厳しく使われる時代になっていた。正芳にはそうした動きは見えていなかったが、漠然と広い世界に出たいと希う気持は強くなっていた。そんな彼にとって、佐藤定吉の話は考えてもいなかった無限の領域があるのだということを示唆していた。彼には「すべてが神の愛に帰する」というところが分からなかった。神の愛がそんなに秀れたものなら、なぜこの世には貧富の差があったり戦争が起ったりするのだろう。講演会から二週ほど経ったある日、正芳は迷ったすえ誘ってくれた先輩にこうした疑問をぶつけてみた。相手は、「それはまだ君が啓示を受けていないからだ。俺だって受けていないが、哲学を勉強したのでね、想像力を働かすことができる。何でもそうだが、信仰というものも、それを持ってから入るものではなく、持つために入るものだろう。それでも納得できなかったら入信しなけりゃいい。信じるのも信じないのも、もっと自由に考えたらいいんじゃないか」と、こともなげに言うのだった〉18歳の大平正芳は、思想としてのキリスト教に出会い、その考え方、生き方を突きつめて強固なものとしていきますが、後年、自民党政調会長になった大平は党の総務会でこんな発言をしています。生産者米価をどう決めるかで自民党の総務会がもめた時、執拗に大平を攻撃する若手議員に向かって言い放った言葉です。〈両総務は私に、大平は百姓の生活を知らないと言われたが、お見受けするところあなた方は裕福なお育ちのようだ。それにくらべれば私は讃岐の貧農の倅である。少年の頃から夜明と共に家を出て山の中腹にある水の少い田を見廻ったのち、朝一番の汽車で通学するのが日課であった。家貧しく学資も少く、給費生として勉強し漸く大学を終えた。このような大平が農業を知らないと言われるのは心外である〉いつもどちらかといえば口数が少く、アー、ウーを連発し声も小さいので「結論明瞭、音声不明瞭」などと批評されていた大平正芳が、普段の倍はあろうかという大声で畳みかけ、二世経営者で組織されている青年会議所の幹部であることなどを自慢している二人の批判者はバツが悪そうに周囲を窺うしかなくなり、隣の田中角栄が「よし」と小さく言ったといったのを正芳は耳にした、とあります。政治家の品格、覚悟、そして「言葉の重み」を、辻井喬は大平正芳を語ることで、平成の日本人に示したかったのではないでしょうか。「戦後」ではなく、新たな「戦前」の雰囲気が漂ういま、若い世代にはとくにぜひ目を通して欲しい本です。(2013/12/13)
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