マイ・バック・ページ ある60年代の物語

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ベトナム戦争、全共闘運動、そして連合赤軍事件……。騒乱の60年代末、若きジャーナリストとして著者が体験した、青春の蹉跌を描く伝説の回想録、待望の復刊。2011年、妻夫木聡&松山ケンイチ出演で映画化!

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ベトナム戦争、全共闘運動、そして連合赤軍事件……。騒乱の60年代末、若きジャーナリストとして著者が体験した、青春の蹉跌を描く伝説の回想録、待望の復刊。2011年、妻夫木聡&松山ケンイチ出演で映画化!

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作家、文芸評論家の丸谷才一(2012年没)は本書初版出版直後、「週刊文春」(1989年1月26日号)の書評で「比類ない青春の書」との賛辞を贈っています。「どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆえ文学的だ」という言葉に救われる思いがした、と著者の川本三郎さんは電子書籍の底本となった新装版(平凡社刊)巻末に寄せた「三つの時間 新装版刊行にあたって」に記しています。〈文章を書く生活を始めてから十五年以上になるがその間、私は主語をつねに「僕」ではなく「私」にしてきた。はじめのうちは無意識にそうしていたのだが途中から意識して「私」を使うようになった。「私」と「僕」の区別などたいした違いはないように思えるが、私にとってはなぜか「僕」は使ってはいけない(引用者注:書籍ではこの箇所「使ってはいけない」に傍点がうたれています)言葉に思えてならなかった。そのことをいま説明するのはとても難しい。あえていえば、私は「私」を使うことによって浮いた気分、軽やかな気持を禁止しよう、抑制しようとしてきたのかもしれない。「僕」を使えば言葉がハイ・キーになめらかになるところをあえてロー・キーの「私」を使うことで私は自分に枷をはめよう、自分を窮屈にしようとしてきた。表現者はふつう自分を自由にしようとするのに、私はその逆をしようとした。といってもなにか大仰な文章上のスタイルの変革を試みようとしたのでは決してない。ただ私には「私」を使うしか自分を表現する手だてはないと思い込み続けてきたのだ〉(本書「あとがき」より)1972年1月9日、「朝日ジャーナル」の記者だった川本三郎さんは、前年夏に朝霞基地で発生した自衛官刺殺事件の取材過程で起きた「証拠隠滅」行為によって埼玉県警に逮捕され、容疑事実を認めた段階で、朝日新聞社を解雇されました。東大法学部卒業、1969年4月に入社して「週刊朝日」を経て「朝日ジャーナル」編集部に在籍していた27歳のときでした。9月27日、浦和地裁で懲役10ヵ月、執行猶予2年の判決。控訴はせずに判決が確定した。川本さんが保釈されてから2週間ほどたったとき、決定的な事件が起きました。連合赤軍事件です。本書から引用します。
〈あさま山荘での派手な銃撃戦で始まったこの事件はやがてリーダーたちの逮捕のあと、組織内部で凄惨な「総括」、殺人があったことが明らかになっていった。群馬県の山のなかから次々に遺体が発見されていった。おそらくこの時代、全共闘運動をはじめとする新左翼運動に何らかの形で関わった者でこの事件に衝撃を受けなかったものはいないだろう。「連帯」や「変革」といった夢の無残な終わりだった。自分たちが夢みたものが泥まみれになって解体していった、そして(おそらくは)誰もそれに対して批判すらできなかった。ただ自分たちの夢みたもの、信じようとした言葉がひとつひとつ死んでゆくのを黙って、呆然として、見つめるしかなかった、沈黙する以外になかった。そこからいつの日か再生できるのかどうか誰にもわからなかった〉川本三郎さんは60年代後半から1972年にかけての自らの「青春」を、十数年をへてようやく見つめ直し、文章化しました。それが本書『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』です。再び「あとがき」から引用します。〈私の事件は、ジャーナリズムの歴史のなかで見れば、60年代後半に大学を中心に生まれた新左翼運動が権力によって沈静化されていく過程で起きた、権力によるジャーナリズムへの介入ととらえることができるだろう。ただ私には72年の出来事をそんなふうに客観的にだけ語ることはできなかった。より個人の側に惹きつけてひとつのメモワールとして書きたかった。きわめて政治的な事件を心情的にとらえたかった。出来事というのはつねに個人の身に起こるときには、その個人の内面感情にそって起こるものだから。(中略)あの時代、新左翼運動に共感した企業内ジャーナリストが、過激派と呼ばれる突出した政治組織の行動を取材するとはどういうことだったのか〉〈私は犠牲者のように自分を描くこともできはしなかった。逮捕されたあと友人の名前を権力の前で口に出してしまったのだから。権力に一人で対抗することができなかったのだから。そのことの責めを私は明確に負わなければならないだろう。「もう疲れたから」「闘う気力がなくなっていたから」はエクスキューズにはならないだろう。私が「僕」というイノセントな主語をどうしても使えないひとつの理由はこの「負債」があるためでもある〉「連帯」という言葉が夢とともに声高に語られた時代――1969年1月の東大安田講堂封鎖解除から1970年11月の三島由紀夫割腹自決を経て、1972年の連合赤軍事件へ――死が身近に、たくさんあった「政治の季節」が終わっていきます。その春に大学を卒業して週刊誌編集者になった私も、川本さんのいう「夢みたもの、信じようとした言葉がひとつひとつ死んでゆくのを黙って、呆然として、見つめるしかなかった」一人です。川本さんは、本書のタイトルをボブ・ディランの曲からとったといっています。そのリフレインの詞「あのころの僕はいまより年をとっていた。いまの僕はあのころよりずっと若い」が好きだとも。そんな気持に後押しされた川本さんの「青春の書」。私たち同世代にとってはオンリーイエスタディなのですが、その本が、出来事のあったころにはまだ子どもだったり、まだ生まれていなかった若い世代の編集者や映画人たちによって支えられ、映画化されてきたという。電子書籍化の機会にさらに広範囲の若い世代の方々が手にとって、半世紀近く前の「熱い政治の季節」になにがあったのか、その一端を知っていただけることを願ってやみません。(2013/7/5)
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