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倫理21

子供の犯罪は親の責任なのか? 戦争責任とは? そして、未来に対するわれわれの責任とは? 生活の中の具体的な問題を徹底的に問うことによって、新しい思想を構想する。

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「親の顔が見たい」――子供が事件を起こした時、当の子供以上に厳しい言葉がその親に向かって投げつけられることが少なくありません。ときには「土下座してあやまれ」という言葉まで目に入ってくることもあります。そんな風潮にざらっとした違和感を抱いていたのですが、柄谷行人著『倫理21』は、「親の責任」を問う社会を一刀両断にしてみせます。柄谷行人はこう書いています。〈子供がやったことになぜ親が「責任」をとるのか。その場合、誰に対する責任なのか。それは「世間」といったものに対してです。罪を犯した子供はそれなりに処罰されますし、その親もそのことで十分に苦しみ、罰を受けている。被害者の親が怒りを禁じえないというのはわかりますが、なぜ「世間」が――現実にはジャーナリズムが――、その怒りを代弁するのでしょうか。もしその結果として、非難攻撃された親が自殺したとして、そのことに「世間」は責任をとるでしょうか。「世間」というのは曖昧模糊としたものです。はっきりした主体がない。誰かが親を追及するとすると、その人は自分はともかく、「世間が納得しない」からだというでしょう。〉「世間」の非難、追及のなかで、親が自殺に追い込まれるというのは、仮定の話ではなく、実際に起きた、痛ましい出来事です。1972年、銃撃戦の訓練のために山に入った連合赤軍メンバーが人質をとって長野県の「あさま山荘」に10日間にわたって立てこもった。銃撃戦によって警察官、民間人に死傷者がでる大事件となって、テレビ各局はほとんど一日中中継し、日本中がテレビの前に釘付けとなりました。そして逮捕された日本赤軍メンバーの父親が事件後に自殺しました。大手企業取締役の職にあったが、責任を取って辞職した父親もいました。柄谷行人はこう続けます。〈欧米にはキリスト教的道徳があり、それが個人主義の基盤になっていると、よくいわれます。しかし、別の意味で、儒教圏の中国や韓国にも道徳的機軸があり、それが逆説的に、一種の個人主義を可能にしています。日本にはそのようなものがない。そのかわりに、「世間」という、得体の知れないものが働いているのです。本居宣長(もとおりのりなが)は、道徳というようなものは中国から来たもので、いにしえの日本にはそんなものはなく、またその必要もなかったといいました。ある意味で、この指摘は正しい。日本人は、道徳というと、何となくけむたいような感じを受けます。戦後アメリカ化によって道徳観が壊れたというようなことをいう人がいますが、それは嘘です。しかし、道徳的規範がないということは、まったく自由で、共同体の規制がないということを意味するのではありません。なぜなら、規制は「世間」というものを通してなされるからであり、この「世間」の規制は極めて強く存続しています。〉連合赤軍事件から数年後に新聞で連載された円地文子(えんちふみこ)の『食卓のない家』という小説があります。息子が連合赤軍のような事件で逮捕された時、その親がどうするかという主題を扱った極めて重要な作品だと柄谷行人はいう。〈この作品では、会社の技術者で幹部である父親が、世間の非難にもかかわらず、辞職しない。もちろん、これはフィクションであって、実際にはモデルとなったと想われる一人の父親は辞職していますし、また、もう一人の父親は、自殺しています。だから、この作品は、実際のケースにもとづいているけれども、どこにもなかったような、もしかすると、この国では決して起こらないようなことを『思考実験』として描いているのです。〉円地作品中の「親たちは攻めよせて来る世間の攻勢に狼狽し、萎縮してひたすらに息子の非行に対して、陳謝しなければならなかった」「罪九族に及ぶ的な犯人を家族の中に包み込んでしまう倫理観がこういう場合知らず知らず翼を得たように羽ばたくのも日本人の本能なのであろう」という叙述を引用したうえで、柄谷行人はこう指摘しています。〈しかし、この父親だけは謝罪もしないし、辞職もしない。彼の考えはこういうものでしょう。子供が赤軍に行ったことを肯定するわけでもないし、また、それに関しては親自身に原因があるかも知れないと思う。しかし、世間に対して息子のやったことで責任をとる必要は何もない。もし息子が独立の人格でなく親に従属するものであるならば、親の責任があるかもしれない。しかし、そうではない。もし自分が辞めたならば、息子に自由がないとみなすことになる。息子がやったことに対しては、息子が責任をとればよい――〉非難の嵐の中にあって、この父親のような態度をとることは、日本においては大変な勇気と決断を必要とします。それは一つの闘争であり、円地文子はこの闘争を連合赤軍の闘争よりはるかに重要だと思っていたはずだと、柄谷はこの作品の重要性を強調しています。「世間」という得体の知れないものとどう向かいあうのか――に始まる、柄谷行人の思考は、「東京裁判でなぜ、天皇の戦争責任が問われなかったのか」に及んでいきます。現在の憲法改正論議にも関わる、すぐれて今日的問題です。時代の大きな曲がり角に立ついまこそ、戦後日本人のありようを問いつづけてきた批評家の視点とその論点に耳を傾けていただきたい。(2013/6/21)
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